ケンヤム

レイジング・ブルのケンヤムのレビュー・感想・評価

レイジング・ブル(1980年製作の映画)
5.0
再見。

「私は盲であったが、今は見える」

倒れない男の話。
なんでも「全部自分でやる」という傲慢で愚かな男が、全てを手にし、そして全てを失う。
男はそれでも、ファイティングポーズを取り続ける。
「俺はボスだ。俺はボス!」
そう自分に言い聞かせて、男は人生第二のリングである、舞台へ出て行った。
ボクサーとしてリングに上がっていた時代と違うのは、自分が不幸に向かって突き進んでいることを自分が知っているということだ。

「私は盲であったが、今は見える」
見えていても、それでもいくというのがこの男の生き方なのだろう。
誰も止める権利はない。

自己中心的であることが、この男の強みであったわけで、この生き方でしかボクサーとして生きることができなかった。
名誉欲、所有欲。
この二つの欲をエネルギーに、スラムから這い上がってきた男なのだ。
だから、嫉妬によってこの男は身を滅ぼした。

それが分かっていても、男はこの生き方をやめることができない。
ファイティングポーズを取り続け、殴り続けることでしか自分を表現できない。

そんな不幸な男に「男が自己中心的で、感情移入できないからこの映画は面白くなかった」とか言ってしまうことほど悲しいことはない。
映画にとって「感情移入」ってそんなに大事か?
一般的な生き方しかしてこなかった一般人が「感情移入」できてしまうような主人公の映画を観て何が面白いのかと思う。
感情移入するのではなく、感情を共有することで映画を楽しめれば「レイジング・ブル」という偉大な映画を楽しめなかった人も楽しめると思います。

強がる男の、切ないラストに心動かされないなんてもったいない!!



それにしても、幸せの絶頂の場面を超ダイジェストで省略しちゃう、スコセッシって残酷な人だよなぁ笑
それが、一層幸せの儚さを際立たせていて好きなシーンでもあるのだけれど。。。

俺の座右の映画。
ケンヤム

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