レイジング・ブルの作品情報・感想・評価

「レイジング・ブル」に投稿された感想・評価

ロバート・デ・ニーロが、鍛えたり闘ったり肥ったりしてオスカーも獲得。
スコセッシ監督とのコンビ、これで4作目か。ジョーペシ初登場だけど、ジョーペシは最初からジョーペシだった。
でもストーリー自体は、あんまり面白くない…。伝説のボクサーもリングを降りると、嫉妬深くて周りを疑ってばかり。すぐに暴れて殴って解決しようとする人物の生涯には、関心が持てないわ。

個人的に、デニーロは30歳代の演技が一番、何を仕出かすか分からないとんがった感じで好き。40〜60歳くらいのデニーロは、巧すぎてリアルすぎて、なんか怖いんですよね…(・_・;;
AyAko

AyAkoの感想・評価

3.5
ジェイクラモッタの自伝を元に制作された映画。

一度栄光を手にした男の、破滅と哀愁。

とにかくデニーロの役者魂が凄い。どうやったらあんなに体型を変えることが出来るんだ…
なんでこう感じたのかうまく言語化できないけど、小津の映画で感じるのと同じ種類の哀愁を感じた。音楽だろうか。
kossai

kossaiの感想・評価

3.3
音楽(Cavalleria Rusticana) がいい

ストーリー:C+
キャスト:B
リピート:C

[採点ルール]
————————
A : 1.7
B+ : 1.5
B : 1.3
C+ : 1.1
C : 0.9
————————

<ストーリー>
A=とても良い
B=良い
C=良くない

<キャスト>
A=とても良い
B=良い
C=良くない

<リピート>
A=何度も見たい
B=もう一度見たい
C=もう見たくない
なむ

なむの感想・評価

4.2

このレビューはネタバレを含みます

20170301:さみしい男のさみしいお話。ボクシングをよすがになんとかやれていたが、ボクシングから離れた途端に全てを失う。自分で自分を抑えきれない怒れる牡牛。怒りに任せて拳を下から上へ突き上げる事しかできない、ボクシングスタイルさながらの性質。最後は周囲に見放され、そんな自分を馬鹿だと悔いるが、しかし結局のところ彼には他にどうすることもできなかったのだ。もの悲しい。が、兄弟との仲直りの兆候もあり、許してしまう弟に兄弟なんだなぁとちょっと心打たれた。
metamegane

metameganeの感想・評価

3.8
フェミ公を騒つかせる男尊女卑ブタ野郎として描いているが、ボクシングの闇深き時代に翻弄され成功者になれない悲劇でもある。落ち目の相手からタイトルを回収したピンポン球一家をなぜか思い出す。
文学的で、尚且つデニーロの演技から郷愁と破滅と希望を感じた。
fy

fyの感想・評価

2.0
嫌だこんな男…。どうやって体型をあれほど変えたのだろうか。デニーロってできない役あるのだろうか。
何とも残酷でありながら、それは誰の身にも起こりうる出来事。
「ボクシングで王者になりたい」という夢が、自身が権力にすがることすらも行わせる。結果、家族からの信用だけでなく財産も失い、『市民ケーン』や『ソーシャル・ネットワーク』以上に悲惨な状況に陥ってしまう。
これは「一つの夢を追い続けるということは、その他の全てを手放すということである」とでも言っているようで、本作を観ている誰にでも当てはめられることなのだと感じた。
ドラマだけでなくボクシング試合の場面においても、映像がモノクロであることが作りものである残虐描写をさらにリアルにしており、折れた鼻から噴き出る血や腫れた顔面がより一層生々しく見えるのが素晴らしい。
あとはやはりデ・ニーロの驚くべき肉体改造。これは他の様々なレビューで散々称賛されているが、それでもここで言いたくなるくらい本当に良かったし驚かされた。
yoshi

yoshiの感想・評価

3.8
どの作品でも、マーティン・スコセッシ監督の映画にはいつも心を抉られる。

ある実在するボクサーの栄光と挫折を描いた物語。
この映画のあらすじは1行で終わる。
しかし監督のまなざしは我々に様々な教訓を与えてくれる。

ロバート・デニーロが演じる「暴れる雄牛」ジェイク・ラモッタはリングの中だけでなく、プライベートでも傍若無人の限りを尽くす。家族や弟だけでなく知人や仲間に対しても、傲慢で乱暴で嫉妬深い。

なぜこんな男に共感し、見終わった後はいつも胸が締め付けられる思いを覚えるのだろう?

それは強い男がいつの世も孤独だからだ。

ボクサーは負けたら終わり。
ファイトマネーがチャンピオンと挑戦者では格段に違う。

挑戦者だった頃のボクサーは将来があり、夢があり、欲しいものを次々と手に入れた。

彼はボクシングを愛していた。
試合のために禁欲し、厳しいトレーニングを自分に課し、期限までにきっちりと減量した。
ギャングに八百長を強要され、負けたときには、魂を打ったことを後悔する涙を見せた。

彼は焦っていた。
試合に負け、今まで手に入れた物を失うことを。
美しい妻、洒落た車、名声、チャンピオンとしてのプライド。
試合に負けて手放したくはない、誰にも奪われたくはない、自分の力で勝ち取ってきたものだから。

ある時からその執着心が猜疑心に変わる。周りの誰もが自分から何かを奪っていくと疑い、誰も信じられなくなる。
妻やたった1人の弟さえも。
彼の執拗な疑いに周りの人々は離れていく。
彼が必死でリングで戦い続けているのにも関わらず。

チャンピオンとなった彼は因縁の相手に負け地位を名誉を失う。
ボクサーを引退した彼を気遣う人はいない。
すべて自業自得だったのだ。

しかし彼はそのことに気がつかない。
誰も愛してくれる人がいないのに、ナイトクラブで虚勢を張り続ける。
つまらない罪で投獄されても、「何も悪いことはしていないのに」とつぶやく。

一生懸命に生きてきた。
自分の才能を活かし、必死に努力してきた。
いったいそれのどこが悪いんだ?
これが彼の言い分だろう。

社会と言うリングで必死に戦っている人ならば、周りのことが見えなくなることがあるだろう。
周りの人の気持ちも考えず、強引に突っ走ってしまうこともあるはずだ。
彼はそれが極端だっただけだ。

もう一度言う、強い男は常に孤独である。
必死で人生を戦っている1人として、私は彼に共感する。

何か1つの事を極めると言う事は、他の何かを捨てると言う事。
彼の場合は愛情すらも捨ててしまった。
それが悲劇である。

デニーロは体重を増やしてまで、ボクサーの没落を執拗なまでに表現し、哀れを誘う。

最後のテロップで流れるのは「新約聖書 ヨハネによる福音書」の一節。
「わたしは目が見えなかったが、今は見えるということです。」

彼には人生の意味がついに見えたのだろうか?

この映画は私も含めて人生に迷える人の教訓となる映画だと思う。
>|