ALABAMA

武士道残酷物語のALABAMAのネタバレレビュー・内容・結末

武士道残酷物語(1963年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

東映映画。東映京都撮影所製作、今井正監督作品。第13回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞している。飯倉家の一族史というミクロな視点から日本社会に深く根ざした封建的な精神の暴力性と残虐性というマクロな問題を描いている。文化博物館のフィルムシアターにて鑑賞。フイルム上映。
飯倉進には結婚を約束した女性がいたが、突然、とある出来事をきっかけにその女性が自殺を図ってしまう。一命は取り留めているものの彼女の自殺というショッキングな出来事に直面し、進は以前読んだ代々一族に伝わる日記の存在を思い出した。日記中の7編の物語を回想するところからこの映画は始まる。
飯倉次郎左衛門が仕える主君の失策の責任を負って自害した第1編。次郎左衛門の子である飯倉佐治右衛門が仕える藩主の病床に際し、行き過ぎた気遣いに激怒され謹慎、死の間際に間に合わず後を追って切腹した第2編。男色の気がある主君の思いと裏腹に主君の妻と関係を持って、後に生き地獄を渡ることを命ぜられた若き美男子飯倉久太郎の悲劇を描いた第3編。浅間山噴火の年、残酷な殿様によって愛する者達を次々奪われた男・飯倉修三の哀しき第4編。時は明治5年、廃藩置県によってその全てが奪われ、気も触れてしまった元藩主を献身的に世話する若き青年・飯倉新吾の身に降りかかる不幸を描いた第5編。昭和の太平洋戦争期に神風特攻隊として戦禍に散った進の兄、飯倉修の第6編。そして現代、建設会社に務める飯倉進と彼のライバル会社でタイピストをしている婚約者に訪れる災難を描いた第7編。
この物語全ての主人公を中村錦之介が一人七役見事に演じ分けている。忠義・仁義の名の下に横行する理不尽かつ残虐な行いの全て。それは古く侍の時代から悪しき因習として継承され、近代国家として成長を遂げた今でも精神の奥底に根付いてしまっている。主君のため、藩主のため、国のため、会社のため。自分が属する国家、組織、集団、個人のために自らを犠牲にしてまでも忠義を尽くすという日本的な考えは今日、日本の美徳として賞賛の声が上がる一方、その背景には数えきれない程の血と悲しみの犠牲があることを考えねばならない。果たして自らを斬って他人を守る事が本当に美しいか。本当にそれが幸福となりうるのか。非常に大きな問いかけをこの映画は睨みつけるような熱い眼差しで観ている我々日本人の観客に対し、投げかけてくる。ラストで進は飯倉家で初めて、忠義ではなく愛する者のために自らを捧げる決意をする。
中村錦之介迫真の演技は身震いする程の怒りと悲しみと叫びに満ちており、観るに耐えないシーンでも静かにこちらを睨みつける。今あるこの世から目を背けてはいけない。飯倉修三のように例え刀を突き刺され、怒りと屈辱の血を流そうとも、自らを苦しめるモノを睨み続ける。呪縛的な封建社会からの脱却と人類の普遍的な幸福への祈りを込めた日本映画屈指の名作。
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