デニロ

武士道残酷物語のデニロのレビュー・感想・評価

武士道残酷物語(1963年製作の映画)
4.0
1963年製作公開。原作南条範夫。脚本鈴木尚之 、依田義賢。監督今井正。中村錦之助のサラリーマン姿から始まる。関ヶ原の戦いで失職した中村錦之助が信州の小大名に取り立てられて以降の、世にも怪奇な自己決定権の物語。

本作を観ていると武士道というものは何たるものであるかと思ってしまう。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一句が有名な「葉隠」。無論、定本など読んだこともないが、大昔、三島由紀夫の「葉隠入門」を読んだ記憶がある。内容などは全く覚えてはいないがサラリーマンには辛い話だった。何しろその内容は奉公人の勤めが主なのだ。

本作でも死んでしまうのは中村錦之助だらけ。主人のしくじりの代わりに自死し主人の咎の赦免を願い出る、主人の死に対して追い腹で恩義に報いる、男色の主人に見初められ夜伽を申し付けられこころならずも寵愛を受けるも、別の色小姓の謀で主人の愛妾と関係を持った咎により男根を切り取られたり、財政難の折幕府の重臣への付け届けの金品の代わりに娘を差し出せと命じられ否応なく承諾するも、その暴君に妻までも夜伽の相手に召し上げられその美貌の妻の自害を知り諫言すると閉門を言いつけられたり、明治の時代に入り、没落して譫妄状態に陥った主人を、こころよりお仕えすればきっと良くなる、と許婚と共に世話をするのだが、その許婚が主人に凌辱されてしまったり、散々な目にあっている。しかも、中村錦之助は主人のなすことについては絶対服従、自己決定権を否定してる。

21世紀の世界でもこのようなことはよく見かける。ご主人様が仰ったことに辻褄を合わせるかのように自分の有様を取り繕う。

夜伽を申し付けた男色の殿様森雅之の錦之助を見るその視線が艶めかしくざわざわとする。もしやすると、そうなのか。暴君を演じた江原真二郎のぶっ飛んだ眼光も強烈だし、何しろ目隠しをした錦之助の秘剣“闇の剣”で罪人2名を見事処刑すれば赦すと言い、錦之助の一閃で首を落とさせる。そして目隠しを取った錦之助が斬り落とした首をあらためると自分の娘とその恋人であることに慄く姿を、加虐性愛的に楽しむのだ。もしやすると、やはりそうなのか。森雅之と言い江原真二郎と言い、もはや演じているのか素地のままなのか分からぬように映る。

殿様には武士道の倫理・道徳などはないのだろうか。

いや、「葉隠」には、/人生は短い、楽しいことをして過ごすべきだ。気の沿わぬことをして嫌な思いをすることなどはもっての外。/などと言うことも書いてあって、ははあ、殿様には都合のよい書であることよ。だから美貌の人妻有馬稲子を所望するのだ。

そして本作では自己決定権の決定的な否定として、対米戦争での神風特別攻撃隊を加える。

やはり人は人の上を歩いているのでしょうか。

丸の内TOEI 東映クラシックスvol.1「海外映画祭受賞作品特集」にて
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