geji

めしのgejiのレビュー・感想・評価

めし(1951年製作の映画)
2.4

妻の勤め

「おい飯まだか」「ハンケチ」腹立つう
典型的なクズ旦那

縁談
恋愛結婚

「君くらいの年の女の心理はわからないな」「まっ早くお嫁に行くんだね」

同窓会: 結婚=女の幸せ、と女も信じている
「幸福な奥さん」
ラブロマンティックイデオロギーの強化

「女の鼻血は大したことない」って何w 男の鼻血は大したことあるんw

いやちょっとキモすぎ そこ浮気はダメっしょ
浮気して散々妻ほっといて、手元から離れると嫌がるのはなんなん

結婚してケチくさい女か、奔放で意地悪な女かどっちかしかないんか
「いくら頑張ったって女一人ってどうしてもダメね」
自由で独立した女は
奔放な女を観客が嫌うように描いているのは嫌だ

仕事 生きる張り合い

「女の人だから」布団を敷ける、はおかしいけど、たしかに里子ちゃんは自分でやるべきだと思った


えーなに結局許して元サヤ???「妻の勤め」に回帰してハッピーエンド?
「その男のそばに寄り添って、その男と一緒に幸福を求めながら生きていくことが、そのことが私の本当の幸福なのかもしれない」「幸福とは 女の幸福とはそんなものではないのだろうか」
うっわ最悪、、、

「男の幸福」なら、「その女のそばに寄り添って、その女と一緒に幸福を求めながら生きていくこと」と言われることはないだろう
自分自身の、個人として独立した幸福があるはずだ
「男の幸福」なら「そんなもの」と卑下して言われることもないだろう

クソみたいなメッセージ

映像と原節子の美しさに免じて2、4

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追記
最後のメッセージはもしかして皮肉なのか?「めし」というタイトルも
女はこうやって生きているという映画なのかも
文句を言わない主人公 でも表情が不満を語っている
観客は原節子の表情で、女の妻としての勤めへの抵抗を読み取るのかもしれない
当時の観客の感想が知りたいと思った


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林芙美子の原作『めし』(絶筆)をちらっと読んでみた
「幸福」という文字は多く使われている。
しかし「女の幸福」という言葉は一度も使われてはいないし、それが映画のラストのようなものだとも書かれていない。

原作では、三千代の語りで「夫婦生活というものは、妻が、良人の、餌食になって、吸収されてしまうことだろうか」という文もある

未完で終わっている『めし』に、もし続きがあったとしても、林芙美子が「女の幸福は一人の男に寄り添い…」と締め括るとは思えなかった。

映画のラストは、女の書き手の筆を、男の監督や監修が勝手に引き継ぎ、男のナラティブで終わらせてしまったものなのではないだろうか?
それは非常に暴力的な行為だと思った。
geji

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