めしの作品情報・感想・評価

「めし」に投稿された感想・評価

生きるために、お互いがお互いを必要としているのが分かる。
どちらかが欠けた瞬間に、荒れた部屋内や脱ぎ捨ての着物といった、互いの生活が荒れていく様子。

終始、自己中女にイライラしたが、後半の嵐のシーンで、言いたいことを全てぶつけてくれたシーンは気持ちよかった。
彼女のだらしない部分を、彼女に対して、全て台詞でぶつけられることから、意図的に、あのキャラクターが用いられていることが読み取れる。
ただ、個人的に自己中女のキャラクターに共感する部分を見出せないため、意図的に作り込まれていることは分かるが、作品展開として、前半は世界観にあまり入り込めなかった。
ナオ

ナオの感想・評価

3.2
この時代の邦画って初めてかも。

the!倦怠期!
最後の手紙を破るシーンが何かよかった、でもあんな旦那は私はいやだなあ。
成瀬は『浮雲』は確か2回観ていて他は『お国と五平』『稲妻』を観たことがあるだけで全部大分前だから漠然とした印象くらいしか残っていないのでほとんど白紙のような状態で今回これを観た(ので一本だけでわかったようなことを書く以下の文章の末尾には必然的にある一語が添えられることになるでしょう)。
成瀬は、松竹の偉い人に「小津は二人いらない」と言われたエピソードが有名だそうで、さっき調べていたら蓮實と青山しんじが対談で「全然似ていない」とそのことに文句を言っていた文章があったが、実際のところ似ていないということはないと思う、結構似ている、少なくともこの『めし』を観る限りにおいては(「小津は二人いらない」と言われたのは『めし』を撮るもっとずっと前のことだと思われるが)。
成瀬の撮り方、切り方、繋ぎ方は、基本は小津のやり方に影響を受けていて、それでいて小津よりは正統派(小津ほど無茶してない、もし映画の表現方法にたったひとつ正解があるなら成瀬の方がそこに近い)、という感じがする。
成瀬の映画は、空間を切り取ることによって生まれる画面外と画面内との関係性、そしてその連鎖によって表現ということをやる。
そうやって映像を推し進めていく。
そのときにカットを切り替えるタイミングというのはいつも観客と作者の画面外(次のカット)への興味に起因する(場合によっては興味を逆手に取った)見せ方であってこれは端的にサスペンスの原理だ。
そしてそのときに成瀬の映画では「今、画面に映って話している人物の相手側ではどんな顔をしているだろうか」「今、画面外の相手を見るこの人はどのような心理だろうか」というような問いが発生し、常に「今」を問題にした映像構築をやっている。
これが小津の場合では、カットを切り替えるタイミングは視点(カメラ=作者=観客)の側から能動的に動くのではなく、人物の動きによって作られる。
人物の部屋への出入り、画面への出入り、立ち上がり、座り込み、物を持ち上げる、といった動作が、台詞のキャッチボールすらが、あたかもカットを切り替えるタイミングを作るために行われ、その動くこと自体のリズムでもって映像を推し進める(リズムは「今」があるということ以外に「時間」が存在するという意識/感覚を醸成する)。
そして小津の場合「今」よりも「過去」「未来」といった抽象概念的な問題を発生させることに注力し例えば「人生」とか「無常」というテーマが浮かび上がる。
「今」を描く成瀬の場合に浮かび上がるテーマは例えば「生きていくということ」などになり、文芸映画に向いていてメロドラマ的だということが言える。
両者の違いは単純に資質の違いだと考えてよい。
と、これだけ違うというのは全然違うではないかと自分で書いていて思うが、これ以外はそんなに違わないのだから似ているのである。
原理的には別ルートでも、時空間の切り取り方そのものはとても似ているのだ(映画にとっていちばん重要なところが似ているということだ。カット割りが小津より細かいとかそんなものは大したことではない)。

知らんけど。
箕芳

箕芳の感想・評価

4.1

このレビューはネタバレを含みます

「独り者のやるせなさ」

「猫飼ってんの」

いいセリフ沢山でてくる

この温度差、知ってるな、と思った。
男と女ってなんでこんな感じなんだろうな、本当に…
幸福の意味が其々違う。
巨匠、成瀬巳喜男が、倦怠期の夫婦が些細なことから溝を深めていく様を描いた初期の代表作。

結婚生活に疑問を抱きはじめた妻の心の揺らぎを原節子がみごとに体現している。
夫へのときめきを失ってしまった妻が家を出て、自分を気に入っているいとこと食事をする場面が好き。

いとこは問題のない人なのに、彼女は急に夫に会いたくなってしまう。
そういう経験、女の人はある。

成瀬監督はその辺の女性の描き方が巧い。

配慮のない夫に妻の気持ちは荒むが、それでも離れられない。
夫婦の映画って不思議だ。
疲れるのに面白い。
親の反対を押し切り結婚に踏み込んだ夫婦も気づけば月日は経ち、変わらぬ毎日に倦怠を感じる。

夫視点ではなく、妻視点で進行する物語は当時の女性の生きづらさをしっかりと見つめるものとなっている。

原作が未完ということで結末は前半のやり取りがなかったように、綺麗に纏まっていて違和感を覚えたが、夫の元を離れられるほど当時の女性は経済的にも精神的にも夫に依存せざるを得ない現状だったのかなと納得したところもある。

女優、原節子は喜怒哀楽を表情だけでなく身動きや目線一つでしっかりと伝えてくれるので観ていて分かりやすい。
155
shihorin

shihorinの感想・評価

3.5
幸福な恋愛結婚をした初之輔と三千代は結婚後数年ではやくも倦怠期。
そんなふたりが暮らす大阪の家に初之輔の姪 里子が転がり込んでひと騒動起こす。

小津映画では人形のようだった原節子が「オンナ」の貌をする珍しい作品。視線芸というべきカメラワークと成瀬流の巧みな演出が随所に見られる作品。

原作は未完だったため、映画会社に都合の良いいわば「順当な結末」だったが林女史は果たしてこのようなラストを想定していただろうか。
ばなな

ばななの感想・評価

3.9
夫婦倦怠期モノ。
ブルーバレンタインとかアニーホールとか、このジャンルが結構好きかも…。
夫のために家事をするだけの毎日に嫌気がさした妻。めしというストレートなタイトルが良い。
TokyoR

TokyoRの感想・評価

4.0
しんぞうさんを中心にした穏やかではない会話と、翌朝の呆れ笑いと、さとこのあくびへの流れ。『腹へったな。あ、すまんすまん。』
手紙を千切って捨てる画は美しい。最後の台詞は良くない。
黒澤組のスクリプターだった野上照代は、自著にて「黒澤さんが尊敬している人がいたとすれば、間違いなく成瀬さん」と言っているそうです。その「成瀬さん」こそ、今作の監督、成瀬巳喜男です。

黒澤明が尊敬していたとすれば、少なくとも作風ではないのはわかります。なんとなく小津安二郎に近いカメラワークで、極力セットもストーリーも日常に近づけようとしているのが見てわかります。これは黒澤明とは対をなすまでは行かずとも、作風に影響を受けたとは言いづらいです。おそらく、プリプロ段階や現場での立ち回りでの影響が大きいのではないかと考えます。

主演は、小津作品常連の原節子。東京からやってきた里子役には、島崎雪子。まず、60年も前の女優ながらどちらも美しいんですよ。原節子は綺麗タイプで、島崎雪子はかわいいタイプ、これは演技でキャラ分けされているから成瀬さんの演出のうまいところです。

作品通して、キーになるのは島崎雪子演じる里子です。これを現在の監督が作ったら間違いなくホラー、あるいはサスペンス色が強くなると思うんですね。それくらい怪しいキャラクターなんです。それをあえてなのか優しい描き方で描いたのは、この時代の日本という国の民族性を考えてのことでしょう。なにせ監修が「美しい日本の私」の川端康成ですからね。おそらくそうでしょう。

原節子のやつれ方の変遷は見事でした。
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