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八日目の蝉のTPのネタバレレビュー・内容・結末

八日目の蝉(2011年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

 そこでこのシーン、画をそんなに引っ張るか?というようなカット、演出が多くてテンポが非常に悪く、そのために約2時間半が長いと感じるし、そういう無駄な時間があるため、余計に荒が目立ってしまう。
 そもそも生後4か月の赤ん坊を戸締りもしない家に残して大雨の中車で出かけるバカ親よ??
 恵里菜が親元に戻って18年、母親はその間娘と愛情の交換はできず、夫も頼りないままで辛い人生を歩んでアラフィフくらいになっているはずなのに全くその年輪を感じさせない(写真館の老人もそうだが、まぁこれは大目に見よう)。
 そこで、英詩の歌流しますか(しかも2度)??
 恵里菜が不倫をしていた塾講師に全く魅力がないため、結局それはラストの恵里菜のセリフに重さを与えない。
 エンジェルホームの教祖がべたべたの関西弁?しかもカリスマ性がなく普通の人の好いおばちゃんみたい。訳のわからん言語で通訳するように歌う人、いりますか??等々が気になってしょうがない。

 いや、特に素と違う性格の女性を演じた小池栄子を初め、主要3女優の演技はいいんですよ。
 またストーリーの本筋自体に退屈するところはないし美しいシーンも多い。良い素材は多いんだけど、それを上回る減点ポイントに気づいてしまう展開。

 また、根本的なところでは、犯罪者と過ごした3,4年が美しい思い出としてしつこいくらいに描かれるのだが、どんなバカ親でちょっと異常な母親だったとしても、子を奪われた夫婦(特に妻)のやりきれない気持ちは尋常ではなく、子供が二人いる私からしたら、どんなに人の子を愛していようがそれは犯罪の基に成り立っている関係であるため、そこをどんなに美しく、お涙頂戴的に描いてもなんだかなぁと冷めた気持ちは最後までぬぐえない。
 ラストに向かって娘が記憶の手繰り寄せをするのだが、大体、3,4歳のころの思い出なんて全くと言って覚えてないのが現実(昔のことを覚えているという印象を持っているのは、子供のころ撮った映像を折に触れて見ていたからそのような錯覚を持っているだけ。本作の娘はそんな境遇にない)なので、たぶん自分も犯罪者だったママ母のように子供を育てようと思ったのだろうが、その意識のつながりに無理があり、お腹の中にいるアホな魅力もない男の種の子に対して、「もうこの子が好きだ」など、よく言えるもんだ。
 ここは子供がいない原作者・角田光代の限界なのかなと思ってしまう(原作未読なので映画とストーリーが違うのならごめんなさい)。

 なんだか、倫理、人情の歯車が少しずつズレた構成の映画であり、映画としての素材はいいものの、かなり違和感をもって鑑賞を終えた。
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