足跡

サン・ソレイユの足跡のレビュー・感想・評価

サン・ソレイユ(1982年製作の映画)
4.8
「この町は楽譜のように読まなければならない。オーケストラのような大集合や、細部の集積に惑わされてはいけない。そうすると、人口過剰、誇大妄想、非人間的な街といった、東京の卑俗なイメージが出来上がってしまうのだ。」
1980年代の東京は日本人の僕の視点からしてもトーキョーという町に映る。なぜなら現代という文脈からでしか「1980年代のトーキョー」という町を捉えられないからだ。いや、今なおそこにある「2024年の東京」ですら東京で生まれ育ってこなかった部外者の僕の目に映るそれは決して「東京」ではなく「トーキョー」であるのかもしれない。どうしても非人間的な町にしか思えないのである。だからこそ、異邦人の視線を通して東京という町の読み方を学ぶことになるとは思わなかった。

阿波踊りのシーンでも同様の体験をした。僕の出身の町に根ざした行事の一つとして七夕祭りがあった。その祭りの一環として「よさこい」という踊りを小学生が行うのが通例であったのだが、僕自身はよさこいに対して古臭く、ダサいという認識を抱いていて嫌悪感すら持っていた。それが今どうだろうか。僕が好きな映画鑑賞という趣味の中で、忌み嫌っていたはずの日本舞踊(僕で言ったらよさこい)が持つ美しさを(しかも)異邦人のまなざしによって再構築された視点から見つけだすことができるとは。

アイスランドのある島から始まった紀行は日本、アフリカを行き来し、アイスランドの島に終着する。マルケルの視線が映す映像と彼の吐き出す言葉は、時には観客に寄り添いその時に映し出された映像やある対象の本質をクリティカルに言い当てる。しかしその言葉の甘美さに浸っていると、突如無音とともに意味をなさないようなコラージュによって突き放されてしまう。
その1時間40分間、その言葉と映像の意味に振り落とされないようにしがみつくのに必死だった。彼の織りなす言葉の意味の3分の1も理解してないのかもしれないが、それでも何回でも噛み締めていたい言葉も、もっと背景を学んで解釈してみたい内容もあった。
またいつか戻ってこようと思う。
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