アベラヒデノブ0阿部羅秀伸

シンドラーのリストのアベラヒデノブ0阿部羅秀伸のレビュー・感想・評価

シンドラーのリスト(1993年製作の映画)
4.7
子供の頃に一度観たが、重苦しいイメージしかなくて、観れなかった。やっと見返して、こんな美しく酷い大傑作だったのだと再確認。
本編を観ている間、僕たち観客は徐々に、麻痺していく。
人が殺されていくことに、その酷い光景に、見慣れてしまう。
胸の奥が、雷雲のような真っ黒い感情で、満たされ、絶望に慣れてゆく。なんて恐ろしいことだろう。
ドイツの政策として、ユダヤ人は人権を奪われ、害虫・ネズミのような扱いを受ける。ドイツ国民さえも、それを受け入れる。いやむしろ、ユダヤ人に対し、憎しみを抱く国民さえいる。
アウシュビッツへ向かうユダヤ人を載せた汽車に向かって、ドイツ人の子供が首を切るジェスチャーをした時、ぞっとすると同時に、この子に罪は無いのかもしれない。独裁政治によって国が丸ごと狂わされている。僕が当時生きていても、同じ状態に陥っているかもしれない。
そんな最中、シンドラーの私生活は優雅で楽しく、ユダヤの人々への仕打ちを、僕たち観客は、傍観者として目撃してゆく。
フツフツと胸の中に沸いていた怒りややるせ無さは、ユダヤ人に対して少しずつ心を開き寄り添っていくシンドラーの姿によって救われる。
シンドラーが1100人のユダヤ人を救う過程で、応援する。多くの人を救えた!と共に歓喜する。
だが、心の中の暗雲は消えない。ユダヤ人の人権は、そこにない。救われたはずのユダヤ人女性たちは、間違ってアウシュビッツに送られた、ただそれだけで殺されそうになる。子供は役に立たないと、それだけで殺されかける。シンドラーが止める。シンドラーが救う。
歓喜。だが僕たちはこの時すでに、この物語によってすっかり麻痺している、大事なことを完全に忘れてしまっている。
それは最後、シンドラーが涙を流した時に思い出せる。
その瞬間、僕たち観客はゾッとする。
見慣れていた光景が異常だったことに、それを忘れてしまっていたことにやっと気がつき、ゾッとする。
シンドラーは胸のバッジを外して、
「このバッジで2人救えた、金だから2人は救えた、たとえ1人でもいい、1人救えた…人間1人だぞ」
努力すればもっと救えたのに、と後悔する姿。
やっと僕たちは思い出す。あの残虐な光景を。あそこで虫ケラのように殺されていた人々が、それぞれの生命を謳歌するべき僕らと同じ人間だったんだ、と思い出す。 !
思いもよらぬ、それこそが、大どんでん返しだった!
決して弱さを見せず、常に気丈に振る舞ってきたシンドラーの、幼い子供のような涙の気づきは、僕たちにも同様の気づきをもたらす。
余裕ぶるなよ、傍観するなよ、そんな強いメッセージが迫ってくる。
あの涙、一生忘れない。