ブタブタ

ピープルvsジョージ・ルーカスのブタブタのレビュー・感想・評価

3.5
「エピソード1・2・3は俺の中では存在しない」
スターウォーズは“俺たちファンのモノ”でありジョージ・ルーカス、お前みたいな何も分かってない“ニワカ”にはもう用は無い。
“エピソード4・5・6オリジナル公開版”を置いてどっか行け!
ある意味このファンの願いは半分くらい叶えられた。
スターウォーズのディズニーへの売却。
“俺たちのスターウォーズ”からジョージ・ルーカスを追い払ったぞ!やった!
そして遂に始まった“ジョージ・ルーカス抜きの”スターウォーズ新章『フォースの覚醒』
「あれー何か違う...やっぱりスターウォーズはルーカスが作らないとダメだな!」
「......」

思い出されるのは『エピソード1』の制作が発表され公開される迄の悲喜交々。
ただ予告編だけを見る為に劇場に行った多くのスターウォーズファン。
霧の向こうからなにやら二足歩行のクリーチャーに乗ったエイリアンがやって来た瞬間、あれが『エピソード1』の1番楽しかった瞬間、あそこが『SWファントム・メナス(何だこの邦題は?『エピソード4新たなる希望』に即してここは『SWエピソード1見えざる脅威』だろうが!』)のピークでした。

『ピープルvsジョージ・ルーカス』は『ホドロフスキーのDUNE』と対(つい)になってる作品だと思いました。

「世界を変えた、世界を革命する、人々の意識までをも変革を促すエポックメイキング的映画」

方や『スターウォーズ』は現存し見る事が出来る。
方や『DUNE』は製作中止となり見る事は出来ない幻の映画。

虚と実。0と1。幻想と現実。

しかし共通してるのは両方とも伝説となり、多くの人々の意識に変革を齎し多くの映画に多大なる影響を及ぼしていると言う事。

自分も正直オールドファンの1人であり「エピソード1・2・3」には否定的意見が強いのですが、ルーカスは実験的映画作家であり常に新しい事に挑戦している事。
「エピソード4・5・6」と同じ事をやっても意味無いと思ったのでしょう。
それとルーカスは最初は『フラッシュゴードン』の映画化を考えていてSWを企画したとか。
エピソード1~3のツルツルピカピカの宇宙船や世界観は確かに50年代隆盛を極めたアメリカのパルプマガジンのSFイラストを思わせ、当初やりたかった映像や世界をCG技術の進歩により実現したのではないでしょうか。

『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』の映画批評『ムービーウォッチメン』で『KUBO』を取り上げた際にリスナーからの投稿で「人は物語が必要である、ただし終わりがない物語は煉獄である」と。
ソレを読んだ宇多丸氏が「スターウォーズがそうなった。ディズニーによって終わりがない物語に、煉獄になってしまった」と言ってたのですが
正にスターウォーズは終わりがない物語「煉獄」となってしまったと思います。
このままスターウォーズは永遠に続くのか。
それとも終わりは来るのか。
知る由はありませんが、取り敢えず『最後のジェダイ』を見なければなりません。
ブタブタ

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