再見
主観と偏見の映画作家、ウッディアレン。
知識が豊富な故に無知で、愚かで、盲目なウッディアレン。
ウッディアレンの映画を観ていると、どうしようもねぇ奴だなぁといつも思う。
けど、映画って本来そうあるべきじゃないか?
芸術なんて自分の主観と偏見を語るツールにすぎない。
世の中を啓蒙しようとか、子どもを教育しようとか、芸術なんてそんな高尚なものではない。
ましてや「白い紙に映像を写して真っ暗な部屋でたくさんの人とそれを見る」なんていう奇妙で馬鹿げた芸術である映画なんて、高尚なものであるはずがない。
だから映画は素晴らしいんであって、無駄な時間を過ごすことこそが映画の喜びだ。
ウッディアレンはそれをやっている。
延々とウッディアレンの主観と偏見を垂れ流す。
押し付けがましくて、鬱陶しい。
人前でこんなにも自分を丸裸にできる映画作家が他にいるだろうか?
自分のノスタルジーと、世の中に対する諦観を大衆の前にひけらかすなんてことは自分にはできない。
この映画のテーマである、恋愛とセックスなんて特にそうだ。
ジョークの通じない苦しさ、話の通じない苦しさ。
ウッディアレンは、それらを抱えているから、その発散の方法として映画を選んだのだろう。
映画という文法に従えば、ウッディアレンは大衆と会話ができる。
孤独を解消できる。
芸術はコミュニケーションなのだと思う。
それ以上でもそれ以下でもない。
なにかを「分からせてやる!」という匂いのする映画は嫌いだ。
ウッディアレンの映画にはいつもそれがない。
主観と偏見に満ち溢れているが故に、無味無臭というか、純粋に映画を観ているような気分にさせてくれる。
それが、嫌いな人もいるのだろうけど俺は好き。
なんかアニーホールについて、一言も語ってないような気もするけど、これで許してね。