あ

恐怖分子のあのレビュー・感想・評価

恐怖分子(1986年製作の映画)
-
終始画面に充満している緊張感は、生活/都市空間の無人の風景やモノ自体が持つ「何かがあった/何かが起こりそう」という無時間性のなかの予兆の感覚によるものだろう。わかりやすい例は、カメラが捉える固定電話の描写で、あのけたたましい音が今にも鳴るのではないか、あるいはこれはもはや鳴った後の静けさなのかというような(実際そのシーンも出てくる)そんな緊張感だ。そしてそれはまさに写真が持つあの性格でもある。加えて、この物語がいたずら電話という偶発的な出来事によって小説が書かれてしまうという話でもあるように、その「予兆」は偶発性によってフィクションを呼び込むと同時に、起こり得るかも知れないフィクションを生み出してしまう。
そういった意味で、壁に貼られた複数の印画紙からなる少女の写真が吹き込まれた風によってパタパタと動き、運動する映像に変化する様は象徴的だ。
カメラの動き自体も動きのない空間で何かを待ち構えている時もあれば、水平運動の最中に別の被写体を不意に切り取るというように、画面外からの貫入を常に呼び込む姿勢を崩さないため、その画面連鎖がサスペンスを持続させている。
あ