あんじょーら

ヤング≒アダルトのあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

ヤング≒アダルト(2011年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

大都会ミネアポリスでヤングアダルト小説のゴーストライターとして働くメイビス(シャーリーズ・セロン)は37歳。漠然と鬱屈とした日を過ごしているのですが、仕事は調度最終話(どうも打ち切り)の大事な時期です。しかし、そこに元恋人のバディから「赤ちゃん誕生パーティー」への招待メールが届きます。何かの歯車がかみ合うかのように、愛犬ポメラニアンのドルチェと共に車でバディから付き合っている頃に貰った思い出のカセットテープの1曲「ザ・コンセプト」だけを繰り返しながら故郷に向かうのですが・・・というのが冒頭です。




え~かなり特殊な映画なのではないか?と感じました。全編に渡ってイタい描写や情景、過去や人柄で埋め尽くされており、ちょっとアメリカの映画とは思えないつくりだと思います。それは主人公を非常に突き放しつつ、しかも悪人として描いているのに、でも共感できるポイントを作っているという特殊さ、です。そしてどうしても内容に触れないと感想が書きにくいので、強引にまとめますと、過去に恋愛の出来事で何らかの後悔をしたことがある方の中で、その過去と向き合う事を厭わない方に(それがポジティブであれ、ネガティブであれ)オススメ致します、それもどちらかと言えば女子の方に。



アテンション・プリーズ


ココからネタバレありの感想です。結構ヒドイ映画なのに、好きと単純にカテゴライズは出来ないものの、そのイタさへの客観性ある視点は素晴らしいものがあると感じます。そしてこの構造は狙って「考えさせる」作りになっている部分が面白いと思いました。確かに、この作品も「マイレージ・マイライフ」同様、受け手に対して解釈が開かれていると思います。







































メイビスの自己中心的、視野狭窄的、他者は風景な思考回路に、思わずたじろがされます。ここまでの短絡思考には病みを感じさせますが、社会的には一応生活出来ているわけで、その辺のアンビバレンツな感情を(メイビスに対する嫌悪感と、しかしその欲望や感情の赴くままの素直さへの共感)抱かせます。もちろん褒められた人物ではありませんし、仕事上の付き合いは絶対に避けたいですし、友人にはなれないタイプの人物ではありますが、同時に何処かその素直さや、大胆さ(というか粗暴さかも)に対する憧れとは申せませんが、裏返しの共感はあると思うのです。


このメイビスの目的は「赤ちゃんの誕生パーティに呼ばれた」→「彼も会いたがっている」→「元彼とヨリを戻す」という強引と言いますか錯乱とも言えかねない飛躍が含まれており、そのことをストレートに表現するのです。目的に向かってまっしぐら、自己がどう見えているのかという客観性が生まれない(のにも関わらず、メイビスの鏡を見るシーン、化粧であり着替えというシーンが多いのも、上手い演出だと感じました)のです。恐ろしいまでの自己中心的ふるまい、傍若無人な人柄です。しかし、メイビスの美貌や彼女を取り巻く高校時代の環境を考えると、一概に捨てられない何かがあります。もちろんスポイルされて、勘違いの上に勘違いを重ねた結果なのですが。



メイビスの自己中心的ふるまいに拍車がかかるのは、お酒を飲んでいる場合で、しかもその酒の席に同席しているのはほとんどの場合は高校時代の同級生であっても気にも留めなかったマットであり、マットは完全にこの田舎の社会では打ち解けられない、しかも高校時代にゲイであるという根拠の無い噂から暴行を受けて足に障害を持つ、という非常にキツいキャラクターとして描かれ、だからこそ田舎では孤高を貫く浮いた存在であり(もちろんオタク的な素養は高いのですが)、メイビスに唯一まともな見解を示せる、しかしそれでもダメな男です。メイビスとマットの違いは大きいですし、このような邂逅は珍しいとさえ言えますけれど、しかし同時に非常に孤独であることにもがき苦しむという同志でもあるのです。なぜなら田舎でも都会でも同じように世界から拒絶されている(もちろんメイビスにも、恐らくマットにも自分に原因はありますが、しかし様々な人がいるのが世界や社会であって、大多数のマジョリティしか認めない同調圧力の高さからくる疎外感は別だと思うのです、バディ、バディの奥さん、あまつさえメイビスの両親の対応がよそよそし過ぎる!!)者同士の何かが通じている感じが切ないです。メイビスというキャラクターには共感は出来ないけれどこの疎外感を味わうものとしての哀しさには、同情ではないシンパシーを感じてしまうのです。そういう意味では監督の目指す「開かれた解釈」が様々なところに描かれていると思います。メイビスには共感できないけれど、バディを含む町の人にも完全には共感できないし、それぞれの言い分にそれなりに真実や肩入れがあるのです。



だからこそ、「赤ちゃん誕生パーティー」での破滅的な自我を崩される、しかも途中からやけっぱちの自暴自棄でありながら、しかし当然と言えば当然の結末の後、マットを頼るのが理解出来る、どちらも世界から拒絶されているように感じられているから。ただ、メイビスは仕方のない結果とはいえ、バディの奥さんを含む、メイビスの両親やかつての同級生たちというこの田舎に住む人々の善意から出た余計なお世話の無頓着さもかなり問題あると思います。メイビス個人には嫌気が差しますが狂気の中にも多少の共感ありますし、町の人々の勝手な善意(とは言いながらもメイビスとバディの顛末を知っているはず)にも悪意を感じてしまうのです。



誰だって過去の失敗を、あるいは栄光の瞬間を、思い出し、浸ることがあると思うのです。それに捉われてはならないものの、皆無という人もまた異常な感じを受けます。



あと、私はおしゃれに造詣が深くないので漠然と、としか分からないんですが、メイビスの人と合わないときのファッションと、意味ある人と合う時の化粧やマニキュア等の手入れ(とかをエステでする)を含むファッションからの情報が女性が見ればもっと分かるのかも、と思いました。なんか私程度だと、気合入ってるとき、とそうでないとき、というくらいしか見えないのですが、その入念さの度合いの可笑しさとか胸元の開き具合からの何らかのニュアンスがあったりするんでしょう。あと、ヌーブラ、実際誰かが付けているところを見る、ということが無かったのでかなり衝撃を受けたんですが、結構美しくないというか残念な感じに見えるんですね、なんか整形失敗した左右非対称な感じで怖かった。


しかし、いろいろ考えさせられたり、自分のイタい部分を突いてみたり、上手いつくりになっていて、「マイレージ・マイライフ」と同じように面白かったです。