Jeffrey

怪異談 生きてゐる小平次のJeffreyのレビュー・感想・評価

怪異談 生きてゐる小平次(1982年製作の映画)
3.0
「怪異談 生きてゐる小平次」

〜最初に一言、いちどたりともカメラ移動がなく、全て固定ショットで展開される男二人と女一人に限定した登場人物で繰りなす心理的怪談映画の退屈な中の日本美を映した怪作だ〜

冒頭、天保十三年の夏。旅役者の小平次と太九郎と妻。寺子屋からの馴染み、思いの告白による三人の関係、釣船、突落し、殺し、江戸へ逃亡、藁人形、五付釘。今、逃れぬ厄払いの恐怖が迫る…本作は鈴木泉三郎の原作を中川信夫が昭和五十七年にATGで監督した怪談映画で、この度DVDを購入して再鑑賞したが面白い。本作は既に第二次世界大戦後の昭和三十二年に青柳信雄監督が、二代目中村扇雀、芥川比呂志、八千草薫らを主演にして、「生きている小平次」の名で、東宝で映画化されてるので、二度目の映画化である。既に表舞台から去っていた中川に磯田啓二率いる独立プロダクションの磯田事務所が彼に頼んだそうだ。すると中川監督はこの原作を提出してこれを映画化したいと言う話にこぎつけたそうだ。すでに「東海道四谷怪談」「地獄」などの怪談映画を撮って定評があった彼の最初にして最後のギルド作品かつ遺作になった怪談である。去年、上記の作品二作が国内でBD化され喜んだものだ。

去年亡くなられた美術監督の名手、西岡善信が本作の美術を担当している分、圧倒的なフレームの中に映り込む美術が魅力的である。彼は日本アカデミー賞美術賞を何度もとっている強者である。それとキネマ旬報でギリギリ第十位になった映画でもある。やはり一千万映画と言うことで、主演の小幡小平次役の藤間文彦、那古太九郎役の石橋正次、おちか役の宮下順子ら三人以外はいっさい登場しない三角関係の心理ドラマを作り上げてる。二人の男と一人の女、この三人に限定された登場人物のみで展開する物語は心理的怪談とも言えて、全編十六ミリで撮影し、カメラの移動はなく、すべて固定のショットで撮られた異色の怪談映画。死んでいるか生きているかわからない不気味さを全編に漂わせているところは画期的である。

さて、物語は旅役者の小平次と太九郎そして、その妻、おちかは同じ寺子屋で学んだ幼なじみだ。しかし、小平次がおちかへの思いを口にしたため、三人の関係はぎくしゃくし始める。やがて太九郎は小平次を釣船から突き落とす。小平次を殺してしまったと、太九郎はおちかの元へと逃げ帰り、2人で逃げようとするが、彼女は冷めた眼差しで彼を見つめるのだった。人目を恐れて江戸逃れた太九郎とおちかだったが、彼の頭には夜となく昼となく小平次の姿がこびりついてどうすることもできない。太九郎の様子に彼女は愛想をつかしながらも旅を続けるのだが


いゃ〜、全編固定ショットっていうのは撮影側からしたらかなりストレス溜まりそうな感じがするのだが、ガチでカット割りの積み重ねで進んでいく。まるでスチール写真の中の人物像が動くような映画である。前進も後進もズームも何もかも無である。三人の愛憎があやなす地獄絵図が凄い静寂の中で繰り広げられてえぐる人間の業のようなものが感じ取れる凄く風変わりな映画である。本作は非常にシャープな映像で誇張された色彩美やリズムが中川美学を発揮していると思う。しかし、今までの画期的で強烈な派手派手しい怪談映画とは違って心理的な恐怖を中心的に描いている分、地味ではある。逆に言えば、ぞっとさせるような怖さが存在感を増している事は確かである。

それにしても一線を超えてしまった男の悲惨な末路を描くのだが、自分に置き換えて考えると最悪な出来事だなと感じる。女房を俺にくれって言われて、釣り船から突き落として殺したつもりだったが、実際には生きていて、繰り返し自分の女房をくださいと言う男に、今度は三味線でめった打ちにして本当に殺してしまい、しかし殺人を犯した男に愛想つかす女房の冷たい眼差しにも耐えなくてはいけないし、そんで殺してしまった男の幻を日々見ながら過ごすと言う後味の悪さ、気が狂ったのか自分の女房に死んでくれとまで言い出す始末。それでも女房くれと迫る男の想いがなんともしつこくてビビる。とにもかくにもストイシズムの映画だったなと改めて見返して思った。
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