百合

ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!の百合のレビュー・感想・評価

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苦い…

エドガーライト作品3作目。ワールズエンドとベイビー・ドライバーに引き続き…町山さんがエドガーライトはまじめな男だと言っていたが本当に。この作品は‘責任’という視座、そして彼のお得意の‘皮肉’また‘イニシエーション’という3つの視座から読み解くことができると思う。
ここでも存分に映画愛を発揮するエドガーライトだが、『ハートブルー』を観せられたサイモンペッグが「こんなに人を殺してお咎めなしってのはおかしいだろ」と発言するように、現実世界は映画のようにはいかないのである。冒頭からカッコよく若者たちを大勢逮捕したサイモンだが、エドガーライトは警官が地味な書類仕事をするところまできちんと映し出す。『ダイ・ハード』のように「撃って倒してチャンチャン」をやらないのがエドガーライトのエドガーライトたる所以ではないだろうか。その証拠にサイモンは相棒のニック・フロストへ「警官の仕事にアクションなんてないんだ!」と説く。またラスト撃ち合いのシークエンスの終わり、ご都合主義的に現れた元上司たちに向かって「事務処理が山ほど残ってるし」と返し、異動を断る。街を救った後はどこかへ消えてゆくヒーローなど彼にとってはいまさらなのだ。
しかしこの映画独特の苦味は、そうした実直なサイモンが‘署長’になって‘ロックンロール’をするシーンで終わるところからくるのではないだろうか。映画オタクの相棒に「アクションなんてない」と説き、偏執的に村の保護に取り組む老人たちに「虚構だ!」と叫び、黒幕とともに村のミニチュア(これがまた象徴的な役割を果たしている)を破壊した警官は、‘スーパーのゴミ漁り’を取り締まりにパンダカーを過剰なドリフトで回してゆく。‘虚構’をあくまで外側から断罪し、それを破壊した時、彼自身が新たな‘虚構’に取り込まれてしまったのだ。この薄気味悪さは最後の書類仕事のシーンで談笑するサイモンの姿から徐々に高められてゆく。ラスト10分ほどで畳み掛けるように観客の座り心地をおかしくさせながら、あくまで‘カッコいい’に持っていくエドガーライトの手腕には感嘆するが、どぎついその皮肉には苦笑ももれた。
サイモンとニックに与えられた役のパーソナリティから考えると、この映画全体がひとつのイニシエーションを撮ったものだということがわかる。サイモンは冒頭から彼女にフラれた男として描かれ、劇中で誰かとくっつくこともない。また学生時代から優秀な男であったことが明かされるが、家族のこともほとんどわからないまま終わる(例外は彼に警官への憧れを植え付けた麻薬使用者の叔父)。しかしニックは対照的に父親にベッタリで、女性との付き合いも描かれない。妻を亡くした父を憐れみ(当然自らも母という存在を喪ったにも関わらず)、「父親の側にいてやりたい」と話すニックは明らかに親ばなれ出来ておらず、父親と自分というパーソナリティの分離ができていないという意味において‘幼い’子どもとしての役割が与えられている。そんなニックは何からも独立しているサイモンとの行動を通して変化してゆく。一度は「ここはサンドフォードだから」と諦めサイモンと別離したニックだが、帰ってきたサイモンと共闘し、最終的に父親と肉体的に格闘したことで彼は初めて父親から自立することができたのだ。
堅物すぎて逆に笑えるサイモンと抜けてるけど素直で愛おしいニック。こんな2人のコンビ仲というだけでじゅうぶんに魅力的で、アホほど過剰なアクションシーンとグロと相まってエンタメ作品として素晴らしい仕上がりなのに、どぎつい毒でしめるあたり、本当にエドガーライトとサイモンペッグの組み合わせは手に負えないという感じ。個人的には「医者だろ?自分でなんとかしろ」のシーンが好きだった。やっぱり拳銃を操りながら敵を見下ろしながら喋る男を回りながら撮るあのやり方には弱い…あと罵倒文句を使うと入れなきゃいけない募金箱の前で感極まってFワードを連発、ちゃんとコインを入れるニック、‘thank you,darling!’も大好きでした。
夜に
百合

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