テテレスタイ

コンタクトのテテレスタイのネタバレレビュー・内容・結末

コンタクト(1997年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

昔見てずっと記憶に残ってる大好きな映画。
科学と宗教の対比を描いた映画だとよく言われるけど、どちらかというと、この映画は信じることと疑うことの対比を描いていると思う。ステレオタイプ的に「宗教=信じる」「科学=疑う」という対応関係がまずあり、それが軸となってストーリーが展開している。結論としては、ただ信じたいものを信じるだけでそれを疑おうともしなければ映画の途中で出てきたテロリストのようになってしまうだろうし、あるいは、何でもかんでも疑って科学的根拠のないものを何も信じなかったら主人公の元上司のように成功するか疑わしい宇宙人を探すプロジェクトに予算なんてつけず地球人類は孤独なままになるだろう。あの過激なテロリストとパワハラ上司は夢の破壊者という共通点をもって登場している。
主人公も神の存在に懐疑的で信じていなかった。しかし、主人公が宇宙人を探し始めたのはきっとどこかに宇宙人がいるだろうと思ったからでそれは科学的な根拠に基づいたものではまったくなく信仰といってよい。この映画の言いたいことの1つはおそらく「科学しか信じない貴方だって、科学的な根拠が無いないことの1つや2つ何かしら信じてるでしょ?それが信仰の原点だよ」ってことだと思う。
映画の終盤では第2の装置が日本に建設されていた。たぶんキリスト教ではない別の宗教の国というのが重要で、信仰って言っても神を信じるかどうかってだけじゃなく仏教とか神道とか別の信仰もあるし答えは1つではないということだろう。そして、宇宙人が父の姿をしていたのは観音様が困っている人の状態に応じて一番相応しい姿に変身して現れるという言い伝えを想起させる。信仰は人の数だけあるのだ。
もちろん日本に建設されていてもキリスト教的要素はあった。主人公が乗ったポッドは宇宙旅行なんてしておらずただ真っ直ぐ水面に落ちたように見えるだけだったが、その様子はまさにキリスト教の洗礼式のように僕には見えた。この洗礼式は誰の洗礼式だったのだろうか。主人公だけの洗礼式?それとも科学の洗礼式?あるいは地球人類の洗礼式? 宇宙人が最初に見た地球の映像はヒトラーだった。そりゃどんなに寛容な宇宙人だって地球人を疑って何の証拠も与えず主人公を返すことだろう。怖いもんw
洗礼式ではその人のすべての罪が許されるということらしい。ということはおそらく地球人類のすべての罪があの壮大な洗礼式によって許され、これから長い時間をかけて地球人と宇宙人との間に信頼関係が築かれていくということを示唆しているのだろうと思う。