青野姦太郎

とむらい師たちの青野姦太郎のレビュー・感想・評価

とむらい師たち(1968年製作の映画)
3.7
デスマスク作りの名人"ガンめん"(勝新太郎)が、仲間とともに独創的な葬儀会社を立ち上げるというブラックで風刺の効いた喜劇が後半に入ると雰囲気一転。突如として死者を弄ぶ資本主義的システムに嫌気が差したガンめんは仲間と決裂し、大阪万博に対抗して葬儀万博なるものの開催を独力で目論むこととなる。
本作におけるロケーション撮影やおどろおどろしい美術を駆使した前衛的映像表現の成立には、当時の大映の壊滅的な財政状況や60年代後半以降の三隅の作家性の変化の影響が大きい。しかし、忘れてはならないのは背景に存在する大阪万博と前衛芸術の関係だ。
よく指摘されているように大阪万博は日本の近代化の成功をアピールし「敗戦」を上書きするという体制側の思惑の下にありながら、それまで反体制的と考えられてきた一部の前衛芸術家が大企業の庇護下で活躍した場でもあった(その代表が岡本太郎だろう)。しかし、反体制的な前衛は体制には相容れないと考えた多くの芸術家たちは、カウンターカルチャーと合流し反万博運動を行ってこれを攻撃、芸術界は大きく二分された。
映画界も例外ではなく、例えば松本俊夫が万博の「せんい館」に参画する一方で、山田洋次の『家族』などは明確に万博への批判を行っている。本作における反万博的なガンめんの行動、さらにはデスマスクが彩る前衛芸術的な葬博の装飾は、単に死者の記憶を上書きさせまいとするガンめんの亡者への敬意だけではなく、以上のような文脈のもとで考える必要がある。さらに言えば、デスマスクという造形物も、アンドレ・バザンの「写真映像の存在論」の注において言及されているように、映画それ自体の比喩としても考えられるため、前衛芸術としての葬博を巡る問題は更にややこしい。
とにもかくにも、潰れかけの映画会社がかくも批判的精神に満ちた映画を撮ってしまうような時代のエネルギーには、ただただ驚くばかりである。