三樹夫

ドラえもん のび太の恐竜の三樹夫のレビュー・感想・評価

ドラえもん のび太の恐竜(1980年製作の映画)
3.4
ドラえもん劇場版第一作ということで、まだ手探り感があります。しずかちゃんがドラえもんをドラえもんと呼んでいたり、スネ夫をスネ夫君と呼んでいたりなど。ジャイアンが歌うたうシーンもおなじみのおーれーはジャイアンーではありません。ちなみにこの歌はジャイアン役の人のアドリブで生まれました。監督も芝山努ではないです。劇場版のお約束であるのび太のドラえもん~からのオープニングは鉄人兵団からです。後、タイムワープのシーンがサイケでしたね。ドラッグでトリップしてるような映像です。ドラえもんのタイムトンネルにあるぐにゃぐにゃの時計はダリの記憶の固執の溶けた時計が元ネタだと思われます。
この映画はてんコミ10巻収録の中編のび太の恐竜(野生のエルザが元ネタとのこと)に後日談を加えて作られたもので、シナリオ作業と大長編の連載は同時進行だったそうです。ドラえもんの劇場映画化は突然持ち上がったようで、なんで恐竜かというと藤子・F・不二雄が恐竜が好きだからです。

藤子・F・不二雄のSFとは少し不思議の略で、日常に非日常が入り込んでくるというものです。なので大長編で気を付けていることは、なるべく仲間内で解決して日常性を壊さないこと。そして大長編の作り方としてはオチを決めずに描きながら考えるというやり方をとっている(短編に慣れててこれでしかできないらしい)と言っています。これは演繹法といいますが、映画を作る時は帰納法で作るのが好ましいと言われています。演繹法というのは連想で、4コマ漫画でいうと1コマ目を描いてそこから何が起きるか想像して2,3,4コマ目と描いていくやり方です。このやり方の欠点はオチがグダグダになる可能性があるということです。大長編で最後らへんにタイムパトロールやドラミちゃんが出てくるという半ば反則技的な展開がいくつかあるのは演繹法で作っているからだと思われます。帰納法というのは逆算で、4コマ漫画でいうと最初に4コマ目を描いてそこに収束するように1、2,3コマ目を描くというやり方です。映画は枠が決まっているので、あらかじめ設定がきちんとできている帰納法の方が酷いことになる可能性が低くなるというわけです。

この映画には漫画版にあるジャイアンのかっこいいシーンがありません。所謂きれいなジャイアンというか、ジャイアン劇場版になると良い奴の法則のシーンです。後、のび太が歩いてでも日本に行くというシーンも劇場版にはありません。なんでのび太は劇場版(大長編)になるとかっこよくなるのかというと成長するからです。短編で成長しないのは(少し成長するエピソードあるけど)成長すると漫画がそこで最終回を迎えてしまうからです。ドラえもんがどういう最終回になるのかは明白で、それはのび太の成長です。のび太の成長というのがゴールで、成長したら漫画が終わるため、さよならドラえもんの後に帰ってきたドラえもんで輪を作り永遠に終わらない日常というのが短編です。ですが劇場版(大長編)はその円環構造の中にはないので、そこには成長するのび太がいるわけです。この映画も漫画版のように、俺は歩いてでも日本に行くというのび太の成長シーンは必要であったと思います。その後のジャイアンもかっこいいんですけどね。前述の削除されたジャイアンのかっこいいシーンです。
後、この映画どこでもドア使えばよかったんじゃないのという疑問に対する説明も漫画版では説明されていました。他にもタイムふろしきや復元光線使えばよかったんじゃないのとか色々ありますが、ドラえもんはあの時にあの道具を使えばよかったのにというのは結構ありますからね。

この映画は出木杉も冒険メンバーに加わる予定があったそうです。ですが削られて、ご存じのようにそれから主要メンバーになることはなく大長編では解説役です。もし出来杉が大長編で主要メンバー入りしたらどうなるのかというifエピソード的なのが読みたい人はてんコミ38巻収録の冒険ゲームブックか、ドラえもん抜きで、成長したのび太、しずか、スネ夫、ジャイアン、出木杉的キャラ達による(他にも何人かいるけど)宇宙船製造法(ドラえもんじゃなくて少年SF短編収録です)という話などを読むといいと思います。
ドラえもんはアニメだけ映画だけという原作未読の方はてんコミなり大全集を全巻、後、同作者の少年SF短編とSF・異色短編も全巻買うべきです。断言しときます。
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