ThNishiwaki

戦艦ポチョムキンのThNishiwakiのレビュー・感想・評価

戦艦ポチョムキン(1925年製作の映画)
4.5
人間はどこまで残虐になれる?

 たった一つの小さなきっかけがあれば、人間は、想像を絶する残虐なことでも平然と出来てしまう。この残虐の系譜は古代から脈々と絶えず、これからも長く続くだろう。これが人間に共通する深層心理のひとつなのである。それをエイゼンシュテインは見事に描き出したのだ。
 とくに西洋における文明文化の進展は、既存のものを完全に否定することによって興る。どれほどの血がそこに流れただろうか。どれほどの愛が引き裂かれたのだろうか。その血と死骸の上に成り立った映画なのだから、凄まじいことにわれわれは畏敬の念を自然と持ってしまうのだ。
 印象的とも重要とも言えるのは第3部『オデッサの階段』であろう。これは歴史上、実際にあった出来事ではない。しかし代わって、首都ペトログラードでは1905年「血の日曜日事件」が、革命後の共産党政権では1918年より「赤色テロ」が、いかなる立場の人間も些細なことで残酷になれることを証明している。そういう意味で、このシーンは歴史的「事実」ではないが、人間的「真実」たり得よう。
 「モンタージュ理論が実践された映画」としてこの作品は非常に有名であるし、重要だとも言える。しかし根本に立ち返り、この過ぎ去る一瞬を通して、自らの暗黒部分に立ち返ることが可能であるし、それを行うのと行わないのとで映画の見え方は全く異なってしまうのではないか。内在するエゴイズム、内在する罪の意識―これがキリスト教的に言う「原罪」であろう―、内在する動物性に向かわせるショックを見事に提示し切ったのだ。
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