Jeffrey

テスのJeffreyのレビュー・感想・評価

テス(1979年製作の映画)
3.8
「テス」

〜最初に一言、衰退した貴族の末裔を叙事詩いっぱいに、且つ光彩陸離な大自然の中を生きる1人の女性と2人の男を描いたメロドラマの秀作である。フランス生まれのポーランド人ポランスキーがイギリスの風光明媚な土地柄の緑を画面いっぱいに基調した時代と生命の物語である〜

冒頭、19世紀末、イギリスのドーセット地方にある絵の様に美しいマーロット村。縮景と馥郁な土地。光彩陸離な自然と陽光に照らされる徒花、名高い貴族の末裔、1人の美しい女性、2人の男、遠く離れた邸宅、貧しさ、親戚関係、愛した男。今、どん底の人生が始まる…本作は失敗作と言われた「テナント」の後にトーマス・ハーディの小説"ダーバヴィル家のテス"の原作をロマン・ポランスキーが監督、脚本を務めた1979年仏、英製作の映画で、この度漸く買いそびれた廃盤BDの再発(4K)で、久々に鑑賞したが素晴らしい。何といっても主演のナスターシャ・キンスキーの美貌に驚く(彼女を見るだけでも価値がある)当時ヒロインに抜擢され、ポランスキーの交際相手でもあった彼女は18歳で、本作が出世作である。演技経験の浅かった彼女が体当たりのお芝居で国際女優へと道を切り開いた記念碑的な1本だ。文芸ロマン大作とはこの事を言う。本作はセザール賞をはじめ、第53回アカデミー賞では6部門にノミネートされ、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞を受賞している。今回のBDのボーナス特典には84年放送の(年忘れ映画劇場、日本テレビ)の吹き替えノーカット版がディスク初収録されており、またドキュメンタリー三部作(小説から映画へ、撮影記、体験記)とメイキング&インタビューとTVニュース映像が入っていてファン待望の円盤発売だろう。


本作は冒頭に、音楽隊が先頭切って原風景の小道を体揺らしながら歩いてくる。後には多くの女性たちが整列している。カメラは固定ショットで長回しされ、カットは変わり、1人の男性がやってくる…さて、物語は19世紀の末、イギリスのドーセット地方にある、絵のように美しいマーロット村。ある春の夕暮れ、酒飲みの怠け者で、細やかな行商を営むジョン・ダービフィールドは、畑の中を走る三又路で村の牧師に声をかけられた。地方の歴史を調べていると言うこのトリンガム牧師は、偶然すれ違ったジョンに、こんな話をして聞かせた。ダービフィールドと言う名前が、実はダービルの訛りであること。そして、その家系は征服王ウィリアムに従ってノルマンディーから渡来した名高い貴族に源を発し、ジョンはその直系の最後の子孫であることを明かしたのである。この話に驚愕しながらも、彼はサーの称号をつけた自分の名前を、うっとりと頭の中に思い描いてみた。飛ぶように家に帰った彼は、早速この話を妻に伝えた。

その頃、夕闇の濃くなりはじめた草原で、村の娘たちが、楽隊の音に合わせてダンスを楽しんでいた。頭に花飾り、白いドレスをまとって大地の上を舞う乙女たち。その中に、ひときわ目立つ美しい娘がいた。ジョンの長女のテスである。彼女は、通りすがりの旅の若者と踊り終わると、野道を1人で家に帰った。ジョンの妻が夫からのニュースを聞いて頭に浮かべたのは、遠く離れたところに大きな邸宅を構えているダーバビル家のことであった。これでやっと貧しさから抜け出せる…と彼女は思った。テスをダーバビル家に送って、親戚関係を主張するのだ。そうすれば、金持ちの家から金銭的援助を受けられるだろうと思ったのだ。嫌々ながらその家を訪れた彼女は、その家の息子アレックの目に留まり、家畜の世話をすることになった。

実はダーバビル家は、本来の家系とは縁もゆかりもなく、家名だけ飼われていたに過ぎなかった。だがアレックは、テスの気持ちを引くために、彼女を従兄と呼んだ。ハンサムだが、ろくでなしの変わり者アレックは、テスに夢中になり、なんとか誘惑しようとしたが、そのたびに袖にされてしまう。ところがある夜、テスを馬に乗せることに成功した彼は、人里離れた森の中で彼女を犯してしまったのだ。それからしばらくの間彼女はアレックの情婦と言う立場に追いやられた。だが、この関係を清算しようと彼女は家に帰る決心を固めた。夜明けにダーバビル家を抜け出した彼女を、アレックは馬で追って説き伏せようとしたが無駄だった。必要な時は、いつでも援助すると言い残して彼は去った。両親のもとに戻った彼女は、やがてアレックの子供を産んだ。だがその子は、わずか数週間で病死した。

恥辱と絶望の果てに、彼女は、家を出て、新しい環境で暗い過去を忘れ去ろうとした。故郷から遠く離れた農場。彼女が仕事を見つけたその場所には、まるで別世界のような喜びがあった。農場主は心暖かい人だったし、一緒に働く乳搾りの娘たちは陽気だった。それに、農業の勉強している牧師の息子エンジェル・クレアと知り合うこともできたのだ。そのエンジェルこそ誰あろう、かつてマーロット村でテスを踊った事のある旅の若者であった。彼は、進歩的で因習に囚われぬ心優しい若者であった。そしてテスをひと目見るや、激しい恋の炎燃やし、彼女に結婚を申し込んだ。1度ならず彼のプロポーズを断った彼女も、ついに結婚を承知した。しかし、自分を偽れなかったテスは、暗い過去を告白する手紙を認めて、エンジェルの部屋のドアの下に滑り込ませ、彼の返事を待った。だが、エンジェルの態度には何の変わりもない。

手紙が床とカーペットの間に挟まれたまま、読まれていなかったことをテスが発見したのは、結婚式の前夜であった。彼女とエンジェルは、ハネムーンを過ごすために別荘へやってきた。その夜、エンジェルが過去を打ち明けてくれた事に勇気づけられたテスは、アレックとの過去を告白した。だが、それは重大な過ちであった。これを聞いたエンジェルは、激しいショックを受け、テスを許すことができず、彼女に背を向けたのである。彼女がそれに気づいたときは、もう手遅れだった。それまでエンジェルがあげていた進歩的な思想、理想主義は、彼女の一言で見事に崩れ去ってしまったのである。エンジェルは、ブラジルの農場で働こうと、彼女を残してイギリスを後にした。一方彼女は、農場時代の同僚マリアンとの紹介で、再び荒地での農仕事に戻り、筆舌に尽くしがたい辛苦を味わわなければならなかった。

そんなある日、彼女は、思いがけずアレックに巡り会った。自分のもとに戻ってくれと懇願する彼を、テスは拒否した。やがて、エンジェルがイギリスに戻ってきた。彼は、ブラジルで重病にかかったのである。そして、テスにした仕打ちに激しい自責の念に駆られ、エンジェルはマーロット村を訪れた。そこで彼が知ったのは、テスの父ジョンの死と、今は見知らぬ人々の手に渡っている古びた家のみであった。必死の思いで彼女の母親を探し出したエンジェルは、テスが海辺の避暑地サンドボーンにいることを聞き出した。サンドボーンの高級アパートで、エンジェルの前に現れたテスの姿は、彼をひどくうろたえさせた。豪華な部屋着をまとい、貴婦人のような物腰の彼女。彼女は悲しげに、あなたの来るのが遅かったと告げた。

テスは、アレックと暮らしていたのである。それもこれも、父が死んだ後の家族を救うためであった。エンジェルは、肩を落としてアパートを後にした。部屋に戻って涙を流すテス。アレックは、そんな彼女に見捨てられたエンジェルをあざ笑う。湧き上がる怒りに身をまかせ、テスはナイフでアレックを刺し殺した。テスがサンドボーンの駅に着いたのは、列車が出発しようとする間際であった。彼女はコンパートメントにエンジェルを見つけると、その腕の中に飛び込み、アレックを殺したことを告げた。今度こそ僕が君を守ってやる。一緒に逃げよう。エンジェルは、自分が誤っていたことを、今こそ自分が彼女を守ってやらなければならないこと、そして心から彼女を愛していたことを自覚したのだ。

2人は、かつてハネムーンを過ごそうとした別荘にたどり着き、初めての愛を交わした。激しく燃えながらも、明日のない愛。翌朝、ベッドで眠りを貪っていた2人は、管理人に発見されてしまった。果てしなく続く逃亡の旅。テスとエンジェルの目の前に、月光に照らされた巨岩のシルエットが浮かび上がる。疲れきった2人は、先史時代のその遺跡の中へ倒れ込んだ。薄暗い2人の最後の隠れ屋に、朝の光がが差し込み始める。霧の中から、制服姿の警官の影が近づいてくる。私を捕まえに来たのね。準備はできているわ。テスは、静かに立ち上がった。遺跡の彼方から、それらの石が初めて建てられた頃と同じように、新しい日を告げる真紅の太陽が昇ってくる。それが、テスの見た生涯で最後の輝かしい光の輪であった…とがっつり説明するとこんな感じで、サークの様な視覚性とメロドラマ的構造が好きな方にはオススメできる。


このような豊満な肉体の貫禄を持った美貌のナスターシャ・キンスキーはイングリット・バーグマンを思い浮かべてしまうほどの芝居力と貫禄を持っていて悲愁漂っていた。まさに風格が既にこの頃から確立しているかのような存在感があった。存在感と言えば、クライマックスの古代のストーンヘンジである。大平原にそそり立つあの巨大な石は、未だに成立が謎とされている。その巨大な石を締めくくるラストの要因はとてつもない。まさに時代の金縛りの中で、誇り高く官能的に生きた彼女は、人間の文化の積み重ね、女の自立を描いたポランスキーとナターシャの渾身の一撃だろう。それにしてもその大迫力のストーンヘンジは行った事はないが、観光名所になっている事は間違いなく、きっとそばに行くと通行料的なのも取られるんだろうな。どうやら宗教的な何か思わせるものがあり、原作によれば、有史以前の異教徒の神殿と言うことになってるみたいだ。といっても、イギリスでの撮影はできなかったために、フランスでのオープンセットでそのストーンヘンジも撮影したようだ(キンスキーが記者会見で話していた)。


いゃ〜、4Kの画質はめちゃくちゃ綺麗だわ。キンスキーが超絶可愛い。四方八方どの角度から見ても彼女の輪郭、全てにおいて美しい。あの強烈なインパクトを持つエキセントリックな顔立ちのクラウス・キンスキーを父親に持つ彼女、似ても似つかない怪異な容貌が不思議である。ポランスキーのフレーム作りが圧倒的に美しく、風光明媚な自然の中で、美女をフレームインさせ、自然光で光輝に彼女を輝かせてる。テスを含めた4人の女性を浅い川を抱っこして4回往復するシーンがあるのだが、裕福な農場の息子のエンジェル・クレア役の ピーター・ファースが顔を徐々に赤くしていて、かなり重労働な作業だったんだろうなとわかる(笑)。さて、この作品は非常に緑が美しく撮影されているが、イギリスと言う国は自然豊かな緑の国である事は承知だろう。ウェールズ、スコットランドなどありとあらゆるイギリスの映画を見ると、とにもかくにも大自然が写し出されて緑豊かさが洪水のごとく画面に現れるのだ。やはり緑と言う色は目に優しいだけではなく、カラーフィルムで撮るには1番美しく出るカラーなのかもしれない。だからトリュフォー監督の「緑色の部屋」なんかを見ると、なるほどなと思うのだ。


どうやら本作手"テス"を教えたのは浮気亡き妻シャロンテートだったそうだ。だからシャロンに注ぐと言うのが序盤に現れたんだと思う。キンスキーの話を少しするが、今作の撮影に先駆ける4カ月間の間を、ナスターシャは、ドーセット地方の方言を学び、農仕事の実地訓練をするために、ロンドンとウェスト・カントリーで過ごしていたそうだ。それで彼女は、そのまばゆいばかりの若い力の全てをテス役に打ち込むことができたんだと想像できる。あれだな、今思えばヴィム・ヴェンダース監督の「偽りの動機」での端役やピーター・シークス監督の「悪魔の儀式」での共演などでほんの少し目立っていたが、やはりポランスキーの本作で女優開眼したのは間違いない。しかし、こんな田園風景の描写で始まり、そこからナターシャの美しい美貌のヒロインが登場して、彼女の家系が有名な貴族の血を引いていることをわかったことにより、彼女が悲劇的な人生を歩んでしまうと言うのは、何の前情報もなく見た場合驚くだろう。

しかも彼女に好意を持った男がまたとんでもない奴らで、片方は金持ちの息子で、もう1人は理想主義の牧師の息子、2人の青年との愛の間で半ば試練といってもいいほどの流転を重ねる彼女の物語を感動的に描いているのだが、19世紀イギリスの田園生活を背景にしている分、映像的には美しいし、その風景を上回るほどの美貌であるナスターシャに集中力を奪われ、夢中になってしまう。そもそもテスはあらゆる特性を持っている女性で、魅力的で個性的かつ人生に対する積極性がうかがえるのだが、彼女が最後に選んだ行動と言うのは、果たして幸運をつかんだものだったのだろうか…。社会的な環境の圧力が彼女をこうさせてしまった、あるいは悲劇へと導いてしまった点は拭い切れない。監督自身、この作品をフランスで成功させるために、伝統のフランス映画ルネッサンスの第一弾として作ったのか知りたい所である。実際79年度セザール賞では最優秀作品賞、監督所、撮影所の3部門を独占しているし。

もちろんポランスキーの仕事ぶりも素晴らしいのだが、「キャバレー」でオスカーを受賞したジョフリー・アンスワースと「鬼火」のギスラン・クロケによる印象派絵画を思わせる撮影効果にも拍手を送りたい(確か、アンスワースが撮影中に、亡くなってしまったので、跡継ぎとしてクロケが選ばれていたはず)その風光明媚な映像にフィリップ・サルドによる重厚で繊細な音楽スコアが入ってくるのだから素晴らしいとしか言いようがない。確か「ひきしお」にもサルドは音楽を提供していたな。それに美術効果も素晴らしく、ピエール・カフロイにも何かしら賞をあげたい気分だ。19世紀のロマンの世界を見事にスクリーンに再現したこのポランスキー組は凄い。確か総制作費5千万フランと言うのだから、日本円だと約30億円位か?そのぐらいの金額をかけて、ノルマンディーやブルターニュ地方が選ばれたのも、19世紀イギリスのドーセット地方を思わせるための映画的策略があったのだろう。

この映画を見て気になったことがあるのだが、何故テスはあれほどまでにアレックを嫌がったのだろうか。彼なりの方法で彼女を愛していたのは物語からも伝わってくるし、結局流産してしまった赤子だって一応は彼のものでもあるのに、何もかも自分1人で物事を決めてしまっているところは納得できなかった面である。しかもラスト彼のことを彼女はナイフで刺してしまうし、自分の父親が死んで金銭面的に彼と結婚しなくてはならなかったからと言う理由で再度戻ってきて、再度エンジェルが現れて、彼を殺めて出て行ってしまうなんて、結構ひどいことするなと思ってしまう自分なんかは。確かにアレックも嫌な男かもしれないが…。そもそもエンジェルが彼女の過去話を聞いてショックを受けるって、そんなに自分がショックを受けるような話でもないのに、それで嫌気をさしてブラジルに行ってしまうエンジェルもエンジェルだなと思う。

テスは、自分の過去を気にして、告白するかを悩んでいて、意を決して言ったにもかかわらず、それは大失敗であり、悲しみに暮れていたが、貴婦人のようにアレックの下で暮らし始めて、最終的には捕まってしまうと言うまさにどん底の人生が終盤我々に見せつけられるのだが、基本的に登場人物がみんな不当に虐げられるというか、全てが不当の映画で理不尽であり不条理な映画なのである。そもそも彼女の元へやってきたエンジェルに、テスは全て遅すぎた…と言いつつも、アレックを刺し殺すのは意味がわからない。彼女にとってこの人なりの愛の仕方とかは関係なくて、自分が好める愛じゃないと嫌だと言うわがままさも感じてしまう。結局自分の勝利を得るヒロインを描きたかったのかなと勝手ながらに思う。まぁ結局ナスターシャの美貌が見れるからそんなのもどうでもよくなったが最後は。原作読んでないしよく分かんないけど、すごく同情できる主人公の人生とまでは言えない。まぁ、最後になるがこの映画は非常に美しくナスターシャ・キンスキーを見るための映画である。後に「パリ、テキサス」でも本作の18歳の若さから軽く成熟した彼女を見ることができる。
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