つのつの

デッドマンのつのつののレビュー・感想・評価

デッドマン(1995年製作の映画)
4.0
【ジャームッシュ映画の輪廻転生】
オムニバス形式から普通の劇映画に、しかも初期の黒味繋ぎ白黒映像に回帰したジャームッシュが撮ったのはなんと西部劇。
しかしオープニングからして彼の持ち味である「反復」描写をガンガンかましてくる。
蒸気機関車の一部分のクローズアップにかぶさるニールヤングの音楽、そしてジョニーデップが演ずる主人公が車内を見渡すというワンセットを執拗に繰り返す冒頭は最早ギャグスレスレだ。
ここでジャームッシュは、自分が今まで描いてきた「反復」による「日常」を半ば相対化して見せている。
その証拠に主人公はその後日常から遠く離れた死の世界に誘われていくからだ。

死神のような機関士の警告を皮切りに荒廃した街を彷徨う主人公の様子にはカフカ的悪夢を連想する。
そこで出会った「紙で出来たバラ」を売る女性(この設定によってよりこの安らぎの気休め感が強まっている気がする)の束の間の安らぎを得た彼は、胸に銃弾を撃ち込まれ更なる非日常的世界に放り込まれていく……。

主人公が、森の中での幻想的な体験を通して学んだものは
「ウィリアムブレイクの詩の世界」と
「ネイティブアメリカンの輪廻転生の精神」だ。
主人公ブレイクはこの二つのマインドを獲得することで自らに呪いのように刻印された死を受け入れていく。
詩人ウィリアムブレイクの思想は、終盤に出てくるレイシズムを丸出しにする雑貨屋の描写やランスヘンリクセン扮する殺し屋の「悪魔」のようなイメージに現れているのだろうか。
彼が自分をビルブレイクからウィリアムブレイクと名乗り始めるのも象徴的だ。
一方でノーボディから語る肉体は滅んでも魂はまた別の形を通して永遠に生き続けるという輪廻転生のマインドも、彼は継承し始める。
中盤で、子鹿の血を顔に塗る描写は明らかにネイティブアメリカンのウォーペイントのイメージだ。
ちなみにウィリアムブレイクの詩と、血のウォーペイントという二つの描写で本作「デッドマン」とリドリースコットの「ブレードランナー」は共通している。
たしかに人生に無気力な男が非日常的不条理に出会い死の恐怖を克服していくという物語は同じかもしれない。
ラストシーンで視界に入る「死」がとても遠い存在に感じられる演出も、序盤の「死」に対する恐れから醸し出される不穏な雰囲気とは随分対照的な着地だが、それは主人公が輪廻転生に飲み込まれつつある瞬間を示しているのだろう。

ここで一つ面白いのは、ジム・ジャームッシュ監督自身が輪廻転生のマインドを自分の作品に取り入れていることだ。
彼の作品群は、決して同じ人物が出てきたりはしないが、それぞれが少しずつ共通点を持っているため彼のフィルモグラフィ全体が一つの世界にも思えてくるほどだ。
本作に出てくる詩や鉄道や河やタバコという要素も、ほぼ全て他のジャームッシュ映画に繰り返し登場している。
そう思えば本作の主人公ウィリアムブレイクは、ジャームッシュ映画の中で輪廻転生を繰り返し、姿形を変えて彼の作品に登場し続けているのかもしれない。
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