邦題からうけるイメージとはちょっと違う。
ほのぼのとした邦題からイメージするものと、描かれているものはずいぶんと違います。
文科省特選どころか、かなりハードな内容です。(PG12ですからね!)
84歳の老人が小学校に入学するという、ほのぼのとした設定は題名の通りなのですが、描かれているものは苛酷な途上国の現状。
ケニアの教育事情の厳しさ。
多分、学齢期の子どもだからといってすべてが無償で学校に行けるわけではなさそうなのです。
だから、「老人が小学校に行く」ということを「学ぶことのすばらしさ」などとはとらえず、「子どもの通学の権利を奪うことになる」と反対する保護者の多さを描いています。
学校に通いたくても通えない子どもたちがそれほど多いのでしょうね。
それは、学校環境の劣悪でもうかがえます。
机は1台に5人、多分長机なのでしょうけれども。
床に座って授業を受ける子どもまでいます。
そんな中に大人が入り込むというのですから、それは腹も立つでしょう。
この辺りの事情が、邦題から受けるイメージとの大きなずれになります。
ただし、主人公マルゲ老人が教育を受けられなかった事情や84歳になってまでなぜ文字を習おうとするのかという理由は、想像に難くありません。
植民地支配と独立運動の騒乱の中、学ぶ機会を失われてしまったこと、マウマウ団として拘束され、拷問を受けたことに対する賠償証明の手紙を自分自身で読みたかったからということ、すなわち、自らが祖国に果たした役割を確認したかったということでしょう。
ここだけを描けば、文科省特選の感動ものになったでしょうが、逆にうすっぺらい物になってしまったかもしれません。
さて、この物語は、失われた自らの過去を教育によって埋めていく老人の物語であると同時に、現代のケニアにおいて質の高い教育を実践しようとする一人の若い女性校長の物語でもあります。
先に述べたように、84歳の老人が小学校に入ることに対しては多くの大人が反感を持つのですが、それに対して、老人が学ぶことの意義を感じた女性校長ジェーンは入学を許可します。
そのときからジェーンに対しての脅迫が続きます。
ここに描かれるのは現代もまだ続く、ケニア近代化の問題点でしょう。
国を分断する部族主義、貧しさゆえの利己主義、青年教育の劣悪さ、政府の高官でもある夫からも理解されずに一人で戦うジェーンに、マルゲ以上に共感を覚える人も多いのではないでしょうか。
ラスト、マルゲへの賠償証明への手紙を、ジェーンらが読んであげてしまうのは、やや急ぎすぎのような気もしましたが、現実的にはそういうものかもしれませんが、もう一工夫欲しいところでした。
ケニアの独立運動、マウマウ団というものの存在はこの映画で初めて知りました。
「土に埋められるまで学び続ける」という言葉が映画の中で語られますが、私たち自身も世界について知らないことがたくさんあり、土に埋められるまで学び続けなければいけないと思わされました。
映画は知らない世界を教えてくれる良い教材でもあるとおもったのです。
それにしても、現在も続くケニアの混乱の種をまいたイギリスがこの映画を作っているところが面白いところです。
1,413-2