Anna125

女が階段を上る時のAnna125のレビュー・感想・評価

女が階段を上る時(1960年製作の映画)
4.0
鑑賞後振り返ってみると、高峰秀子演じる主人公圭子が手にしようともがいたものは、何一つ得られていないことに気づく。

自分の店、幸せな家庭、金銭的成功…

圭子は雇われの身から独立するため、資金集めをする中、1人のパトロンに頼る危うさに気づき、常連たちに少額出資を募る画期的アイディアを思いつく。しかしこれも様々な理由から完遂することはできない。その上、傷心から亡き夫に誓った、崇高な信念も自ら反故にしてしまう。そうして圭子は時に他人に、時に己に失望し、無言で押し黙ってしまうのである。

何も得られない主人公だが、物語は悲観的でもなければ、無理に明るく終わることもない。痛みは痛みとして、無力感は無力感として描き切る。考えてみると、私たちの人生も同じようなものだ。全てが順風満帆にいくことなど、あるものか。

ツキのない圭子を、高峰秀子が見事に演じる。どんな不運な出来事があっても、家族に恵まれなくとも、ただ歩き続ける、毎日階段を登る人生の偉大さを、この作品は見せてくれるのである。
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