一姫二太郎

渚にての一姫二太郎のネタバレレビュー・内容・結末

渚にて(1959年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

終末ものが好きです。
狭義のジャンルで言うなら、「心地よい終末もの」
「トリフィド時代」とか、三回くらい読んだわ。なぜ映画化してないのかと不満に思うくらい。

本作もその、心地よい終末ものの系譜で、放射能に徐々に汚染され終末に向かう人々の生活を淡々と描く内容。
最近原作を読んで、割りと胸を打ったので、勢いで映画も鑑賞しました。

原作ありの昔の映画ってことで、ひどい原作改変を覚悟してたけど、意外と原作通りのストーリーラインで安心した。
……のも、汚染されたサンフランシスコでスティンが脱走したあたりまで。

正直、原作も序盤は、やたら軍事的な記述や、大したドラマのない人々の生活が描写が多くてとっつきづらいんだけど、終盤は、それらの多数のページの積み重ねにより、迫りくる登場人物の死が、"長い時間付き合った人物だけに"「日常の崩壊」をより一層重く感じさせてくれて素晴らしいのです。
だから、この映画も終盤は頑張って欲しかった。
特に互いに惹かれ合いながらも、既婚者のタワーズ(奥さんは放射能で既に死んでいるんだけど)とモイラが"変わらない'ことを選択して、プラトニックな関係を保ったあたりは、すごく尊くてがズシンと心にきました。


けれど、この映画はどうでしょう。
やたら、キスをしまくる男女のラブロマンスに終始しているじゃありませんか。
何より、鱒釣りの後のホテルのシーンはいただけません。
タワーズとモイラがキスするのはいい。確かに原作でもキスはしてます。でもハッキリとタワーズは奥さんに義理だてして、その後モイラを拒絶してるんですが。
ただ、この映画でキスした後に画面が暗転するのはいただけない!
これじゃあ、性行為を暗喩しているようなもんです。

「わたしだってあと一週間か十日で死ぬというときに、不倫遊びなんかやってあとを濁したくはないもの」
これは原作でのモイラのセリフですが、彼女の気高さと強さが現れたセリフです。
本当は、彼女はタワーズのことが好きでたまらないんです。
でも、彼女はその想いを仕舞い込むんです。「世界の終わり」にも関わらず。
「世界の終わりだから、彼を振り向かせる時間が足りない」なんて
儚げなこと言いながら。
ああ、尊い!

でも、この映画だと、なんか安直に不倫っぽく結ばれちゃった感じですごく嫌だ!
まあ、「映画はエンターテインメントたれ」です。
みんなに興味を持たれそうなラブロマンス路線にシフトしたのはきっと商業的には正しいのです。

ただし、それが、心地よい終末ものとして、正解だったかと言うと、はっきり言ってノーの言いたいかぎりです。
原作知らない方が楽しめると思います。
一姫二太郎

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