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レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまでのerinaのレビュー・感想・評価

4.0
1950年代のアメリカは核家族としての理想形態が誕生し、中流階級が郊外に家を建て始め、女性の社会進出が進む以前の時代である。

理想的な家族からの崩壊を描く本作から、崩壊(離婚)後に互いにとって本当の理想とは何かを追及し、新しい家族のあり方を再構築しようとする「ミセスダウト(1990)」など、アメリカの家族を描く作品には、時代によって徐々に変わっていくアメリカの家族様式が深く反映されている。

幸せ=家族重視の風潮が強い当時の背景として、本作に登場する夫婦の「理想的で、特別な夫婦」への願望は、当時はより強いものだったのだろう。

経済的に家族を支え、妻を愛している自分が好きだという自己愛の塊のような男、フランクと
献身的に夫を支える妻を演じながら、時に自分のために本能的に生きたいと願うエイプリル。(自分の欲に対して忠実でいる場面だけタバコを吸うのが印象的だった)
社会的に作られた家族の理想形の中で、独自の理想を掲げ、本来の自分のために生きようと奮闘するエイプリルだが、結局、追いつかない周囲の思考と環境によって彼女の野望はあっけなく崩れ去っていく。

不動産屋夫婦の息子のセリフ「虚しさは誰でも感じるが絶望を感じるには勇気がいる」というのは名セリフだった。
誰もが、ある種の虚しさを感じつつも自分の心を押し殺し、自分は幸せだと思い込む。絶望を感じることに恐怖を抱くのは当然であり、みな近場の愛に依存している。

ラストシーンのエイプリルの行動は、側から見ると精神的に病んで今の生活に疲れ果てた可哀想な妻でしかないが、中絶という行為は、彼女の中では惰性的な愛からの解放である。

夢はそれぞれ個人が自由に持つべきものであるようで、広く一般的に固定化された「アメリカンドリーム」は結局は個人を抑圧し、追い詰めてしまった。

時代によって移ろいゆく「その時代ならでは」の思想というものを家族の在り方を通して今一度考えさせれる作品だった。
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