Jeffrey

普通の人々のJeffreyのレビュー・感想・評価

普通の人々(1980年製作の映画)
4.0
「普通の人々」

〜最初に一言、レッドフォード監督の傑作にして最年少で受賞したティモシー・ハットンの芝居が強烈に脳裏に焼きつく家族の普遍性を描いた名作である〜

本作は1980年にロバート・レッドフォードが監督してアカデミー賞最優秀作品賞をはじめ4部門受賞した名作で、この度国内で初BD(新たに4Kスキャン修復が施され、著者であるゲストとハットンによる新しいインタビューも収録された完全版)がされたので購入して久々に鑑賞したがやはり素晴らしい。この作品で助演男優賞受賞したティモシー・ハットンの芝居は印象に残る。いわゆる「アメリカン・ビューティー」で、作品賞を同じく受賞したサム・メンデス監督がこの作品にインスパイアされたのは有名な話だ。その他にも「アイス・ストーム」など90年代後半のこの作品は主に富裕層の家族の普遍性を描いた傑作である。今回のBDにはテレビ朝日版吹替は収録されておらずソフト版のみ収録になっている。この作品は3つの吹き替えがあるはずなんだけどね。

本作の原作はミネアポリスに住む主婦ジュディス・ゲストが、38歳の時に初めて書いた小説であるそうで、76年に出版されて全米図書館賞受賞し、ベストセラーになったこの小説を、レッドフォードは出版前ゲラ刷りの段階で映画化権を買い取ったそうだ。そして3年後に、過去に「大統領の陰謀」「候補者ビルマ・マッケイ」などの問題作を産んだ彼のワイルドウッドプロによって映画化が実現したと言う。レッドフォード監督はこの作品内容について確か、「家族と言う社会組織の1単位の問題、また一定の秩序からはみ出さずに生きようと努めている人々に関心があって、これは自分の育った社会構造の霧の中で、何とかコミュニケーションを図ろうとする人々の話だ」

とインタビューに答えていた事があったと思うのだが、映画の出演と言う長年の夢をこの作品で実現したレッドフォードだが、その綿密で完成された演出ははじめての監督作品とは思えないほどの素晴らしい仕上がりになっているのは言うまでもないだろう。そして素晴らしいと言うならば、故ジム・ハットンの息子ティモシー・ハットンが扮している息子のコンラッドだろう。ハットンの素晴らしい思春期に置かれた少年の不安と動揺、微妙な心理を的確に好演しているのは拍手喝采ものである。そして物語も良くて、さすが「ジュリア」でアカデミー賞脚本賞受賞したアルビン・サージェントの脚本だなと改めて思わされた。音楽は「スティング」でオスカーを受賞しているマービン・ハムリッシュだしね。

いまだにオスカー受賞できていないドナルド・サザーランドの父親役もかなり良かった。彼にも早く受賞してほしいものだ。本作はイリノイ州レイク・フォレストにロケをしているため、季節と伝統的な中西部の町がカメラに収められていることも見所の1つだろう。とにもかくにも素晴らしい2時間4分の作品に仕上がっている事は間違いない。レッドフォードは役者ではアカデミー賞主演男優賞受賞していないが、作品では受賞しているなと思いながら、彼は演技うまいし残りの時間で受賞できたらいいなと思っている。さて、前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。


さて、物語は枯葉の舞い散る静かな公園。穏やかに水をたたえた湖。枠は年輪を経た大樹の並ぶ道に面した教会。シカゴ郊外の住宅街を取り巻く静かな佇まいの中で、白い前庭の奥に2階建ての白い家が見える。それは住む人の社会的地位と余裕、平凡で堅実な家族を物語っているようだった。コンラッドは17歳、この街のハイスクールに通い、聖歌隊のメンバーでもある。思春期の少年らしい繊細な表情と少し落ち着きのない目をしているが、ごく普通の高校生に見える。父親のカルヴィン・ジャレットはシカゴにオフィスを持つ有能で家族想いの弁護士だ。妻のベスはシックな装いが似合う調和のとれた主婦である。結婚して21年になるが、今でも愛し合い、いたわりあう。傍目には理想的な夫婦の姿に見える。だがコンラッドは今夜も悪夢に眠りを妨げられた。

心配する父親が精神科医に会いに行くよう勧める。コンラッドは何をしてもどこにいても手ごたえを感じない心の空洞をどうして良いか分からないでいた。何かが自分を追いかけて逃げようとするが離れない。気が進まないままやっと決心して、精神科医バーガーに会いに行く。「退院したのはいつだった?その後調子はどうだ?そうか皆が君を危険人物のように見るのか」兄のバックの事故死がコンラッドを変えたのだ。数ヶ月前、バックと2人でボートで遠出し、嵐にあってボートが転覆、必死に助けようとしたにもかかわらずバックは溺死した。秀才で何をやらせても完璧でスポーツ万能の学校中の人気者だったバック。家族の皆が愛しコンラッドにとっては自分の模範として誇らしく思っていた兄の死。

彼を助けられなかった、自分だけが生き残ったと言う強い罪の意識から、コンラッドは右手首を切って自殺を図った。助けられて入院した精神病院での数ヶ月間。退院して外見的には元通りの生活を送ってはいるが、何かが狂い失われてしまった。その中で自制心を保ち、周囲の人々とのバランスをコントロールしようともがく。誰にも増してバックを愛した母親ベスは、時々コンラッドを見て凍ったように口を閉ざしてしまうことがある。彼の自殺未遂と言う嫌な事件を一刻も早く忘れようと努めているのか。病院で一緒だったカレンと久しぶりに会った。病院が恋しくなるとか分析医に通っているとか言う彼に、カレンは演劇部の進行係りをしていて忙しいのだと慌ただしく席を立つ。

沈んだ表情のコンラッドを見て別れ際に、元気でいて、来年こそきっと良い年になるわと言い残す。バーガーは忍耐強くコンラッドの苦悩の原因、心の奥に潜む恐怖の正体を引き出そうと務めた。徐々にジャレッド家の一人一人の姿がくっきりと浮き彫りにされていく。コンラッドを心配するあまりに過保護に近い態度をとる父親、対面を保つことのみに懸命ですべてを綺麗事で済まそうとする母親の姿がそこには見られた。クリスマスが近づいたある日、コンラッドが学校の水泳部を辞めたことを他人から知らされたベスは、いつにない激しい口調で彼を責める。抑えていた母親への不満が一気に吹き出してコンラッドの口をつく。お互いの感情を爆発させた激しい口論だった。

耐えきれずに自分の部屋に逃れたコンラッドを慰めに父親が追ってくる。「僕が悪かった。だけどママは僕を恨んでいる。」絶望の淵で苦悩する息子にどうやったら力になれるか。重く張り裂けるような気持ちを抱いてコンラッドに内緒でバーガーに会いに行く。バーガーの前で正直に自分をさらけ出したカルヴィンに、自分が、妻が、2人の関係が見えてくる。帰宅した彼は、この話を避けようとする妻の心の壁に突き当たり、出口のない絶望を感じるのだった。聖歌隊で一緒のジーニンにいい声だと褒められたコンラッドは、気分を良くし勇気を出して彼女にデートを申し込む。一緒にボーリングを楽しみハンバーガーを食べ、コンラッドは久しぶりに高揚する気分を味わっていた。

クリスマスを迎えてコンラッドは約束通りカレンにお祝いを言う為に電話した。受話器を通して伝わってくる異様な雰囲気、やがて男の声が答える。「カレンは自殺した」コンラッドの身体の中を言葉にならない衝撃が貫く。あの時の別れ際の彼女の笑顔が目に浮かぶ。ショックでよろめくような彼の脳裏に嵐の中で溺れかけるバックの姿が浮かぶ。恐怖と混乱のため自分を見失いかけたコンラッドは、思わず飛び出した夜の街の電話ボックスからすがるような気持ちでバーガーに助けを求める。取り乱し泣き出す彼をバーガーは、ボートの遭難と言う過去の忌まわしい出来事に立ち帰らせて直面させる。次第に現実をありのままに受け入れ始め、コンラッドは自分を苦しめ続けていた罪の意識から解放されていく。

クリスマス休暇をテキサスで過ごした夫婦が帰宅したその晩、コンラッドは初めて自分から母親を抱いておやすみのキスをした。驚いた顔のカルヴィン。だがベスはそのままの姿勢でじっとし、コンラッドが立ち去った後何事もなかったかのように振る舞う。夜中、階下で泣いている夫の姿を見つけて当惑する妻に、彼は自分の正直な心を、ありのままの気持ちを打ち明けた。「君を愛しているのかどうかわからなくなってしまった。今まで通りには暮らせない」静かにその場を立ち去った彼女は荷物をまとめて家を出て行った。残された父と子は初めて素直に自分の感情をぶつけ合う。家庭の崩壊と言う悲劇を乗り越えた今、2人はお互いの中に深い愛情と信頼を見いだすのだった…とがっつり説明するとこんな感じ。

平凡だが、平穏な日常生活を送っていた家族4人の家庭に、長男の事故死、続いて次男の自殺未遂と言う事件が起こってしまい、この出来事を契機として、愛情と信頼によって固く結ばれていたはずの一家が、激しく揺り動かされる場面を見事に描ききった傑作である。目に見えない緊張が家の中を支配し、3人がそれぞれの苦悩を抱えて、噛み合わない歯車のようになったお互いの関係に直面するのを淡々と描いている。本作でレッドフォードが伝えたかったのは、平凡な生活を支えてきた秩序がどれほど弱くはかなくもろいものなのかと言うことだ。当然と思い込んできた正常な健全な日々がいかにはかないものであったのか、普通の人々のありふれた日常に潜むささいな出来事によって崩壊していくと言う現代社会において親と子、夫と妻の絆とは一体何なのか。

家庭のあり方とは一体何なのか…を問題提唱をはらんで見るものに厳しい自己との対峙を迫り、各人各自様の回答を要求するものになっている。どこをとっても目を引く派手な場面のない地味そのものといったこの作品が、80年の10月1日に全米で封切りされるや、1周目でいきなりバラエティー紙の8位にランクされ、続いて2位の座にとどまるヒットとなり、多くのアメリカ人に深い静かな感銘を与えたのは今年アカデミー賞で作品賞受賞した「コーダ」同様にもの静かな作品だったことを思い返した。さて、本作の印象的な部分を話していくとまず冒頭に優しく流れる聖歌隊の音楽が印象をとらえる。Jon SartaのCanon In Dは名曲だ。この音楽は劇中所々で流れる。

この作品若き日のアダム・ボールドウィンもコンラッドの友達役として少し顔出しているが若い。彼と言えばキューブリックの「フルメタル・ジャケット」が印象的だった。家族のそれぞれのフラッシュバックがいい具合に導入されており感情掻き乱される。それにしても当代きっての二枚目俳優だったロバート・レッドフォードが抱いていた映画制作と言う悲願を、監督と言う形でついに実現し、初体験ながらその手腕が内外で高く評価され当時のホットの話題の渦中にいたのが驚きである。この作品の画期的なところは、アメリカの失われた社会、様々な変化や変化の必要性及び社会構造上、堅固な部分、家族の絆のように永続性があると思われているものがいかに変化を余儀なくされているかと言う定義に加えて見せかけと現実の問題に非常に観客を興味深い所へ前進させている点だ。

さて、原作者の主婦について少し言いたいのだが、この作品は1976年の発刊後たちまちベストセラーになり、ハードカバーとペーパーバックを合わせて数百万本売ったそうだ。30代の後半、コンピューター会社の重役夫人で、2人の息子の母親である原作者は、3年を費やして「普通の人々」を書き上げたが、「出版の予定もなく、まして映画化されるとは夢にも思わなかった」と言っている。12歳の頃から書いていたが、本格的に筆を取ったのは、息子たちが学校行くようになって暇ができたから。言うまでもなく、これは初めて発刊されたゲスト夫人の小説で、出版権と映画権は全くエージェントの手を通さずに売ったそうだ。そしてドナルド・サザーランドはこの作品に出演するのは賭けだったと言っていた。

経験が全くない監督の映画に出る事は、映画の成否を決める鍵は監督だとの信念を持っていたからだそうだ。ある日レッドフォードから電話がかかってきて会いたいと言っていて、原作を読んで台本を読んだ後に実際に会って、2年間働きづめだったため休暇を予定していたが、キャンセルしたとインタビューに答えていた。台本がどうやら気に入ったらしく、レッドフォードはあまりにも明快で、知的で、魅力的だったと話す。作品完成度のあるインタビューでは、サザーランドは、「この数ヶ月、自分がレッドフォードの妾みたいなものだった」と言っている。役者は監督のおもちゃだ。自由に動かし操られるが、愛情を注がなければならない。だから自分は彼に囲われた愛人と同じだった。それを少しも後悔していないと付け加えていた。

過去、フェリーニ、アルトマンなど世界一流の監督作品に出演し、自ら演劇の演出を手がけたこともあるサザーランドだが、レッドフォードは「フェリーニの正確さと、ミロス・フォアマンのユーモアを持った一流の監督だ」と評していたことが懐かしい。それから母親ベスを演じたメリー・タイラー・ムーアは、文句なく魅力的な人で、映画、舞台を問わず最高の監督だったと言っており、しかしながら大事な息子を事故で失った母親の役を見事に演じていたその数ヶ月後に、彼女自身一人息子のリチーをピストル事故で失っていると言うあまりにも残酷な運命のいたずらを経験している。話を映画に戻すが、この作品は非常にうまく纏め上げられている。まずナイーブな青年の心の拠り所を描くだけでも1つのドラマができるほどだ。

お兄ちゃんとヨット遊びをした際に、嵐に巻き込まれて兄貴だけが死んでしまい自分1人が助かってしまって、その責任を感じて今度は自殺未遂をしてしまい、病院から戻ったら、周囲との調和に心を砕いていくと言うそれだけでも1つのストーリーが作れるほどだ。確か映画評論家の小藤田千栄子氏はこの作品を見て真面目さと思考の深さをロバート・レッドフォードから感じたと言う。この映画息子にフォーカスしているから、息子がすごくかわいそうと感じる観客が過半数いると思うが、冷静に見ていく、父親も母親もかなりきついと思う。まず母親は、最愛の2人息子のうちの1人をなくしてしまい、挙句の果てに残った息子まで自殺しようとしてしまったと言う時点で、苛立ちと恐怖が混じっていくだろう。

だから妙に、冷たくあしらったり、どこかしら微妙な空気と間が2人の関係にあったのだと思う。それはオープニングから始まって朝食シーンからわかる。さらに、父親は生き残った息子が自殺してしまったと言うのは、自分たちがプレッシャーをかけてしまったからだと思い込んで、気を遣っている。そのような人生をずっと歩んでいく父親もかなり気の毒である。なんだか気弱に気遣う父親が何とも言えなかった。ネタバレになるから言えないが、クライマックスの時に母親は〇〇へ。そして父親と息子が〇〇する家の前でのシークエンスは本当に優しい。優しいと言えば、オープニングだ。あのピアノのソロが聞こえ始め、やがてそれは教会の聖歌隊の伴奏であったことを観客にわからせる、なんともデリケートなシーンをクライマックスでも彷仏とさせるような作り方をしていた。しかものどかな風景から…。長々とレビューしたが、まだ見てない方は一度は見ていいと思う。
Jeffrey

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