スギノイチ

暴力団再武装のスギノイチのレビュー・感想・評価

暴力団再武装(1971年製作の映画)
4.0
映画前半の鶴田浩二はいつもの任侠ヒーローとは一線を画す悪辣さを持ちながら、街田京介を相手取り、地上げ仕事を淡々とこなしていく。
後ろでメッタ刺しにされる老人を尻目に、画面手前でニヤ~ッと笑う姿はいつもの任侠映画にはない怖さだ。
また、仇討に特攻してきたチンピラを一撃で殺し、「わかってるな」と下っ端構成員を自首させる。
その姿は、まるで安部徹や遠藤辰雄らのような、任侠映画においての悪役そのものなのだ。
主人公である鶴田浩二がインベーダーであり、むしろ、対する街田京介こそが「任侠」に殉ずる存在である。

だが、街田京介を殺した後も映画は終わらない。
現地で「アンコ(日雇い労働者)」達を統率しなくてはならず、組からは上納金を要求されていく。
アンコのリーダーである若山富三郎と対立しながらも、やがて絆を深めていく。
だが、より合理的で悪辣である兄貴分の丹波哲郎がしびれを切らし乗り込んできてから、アンコと組織上層部の板挟みとなり、苦悩していく。まるで中間管理職のごとしだ。
かつては苦楽を共にしたはずの親分(近衛十四郎)や丹波哲郎は、もはや自分を養分としか見ていない。
この頃はまだ「実録路線」なんて言葉も無いが、後半で描かれる策謀の世界は完全に後の「実録」のそれであり、任侠を滅ぼした鶴田浩二が新勢力(実録)に屈する、という3重構造になっている点がこの映画の面白い所だ。

クライマックスの討ち入りシーンは演出がヘボすぎて激ダサであり、「ああ…やっぱり佐藤純彌…」と思ってしまいそうになるが、そこからが凄いのだ。
追い詰められた近衛十四郎が「てめえは任侠道の屑だ!」と鶴田浩二を恫喝するシーンがある。
これは任侠そのものを体現する鶴田浩二が言われるからこそ「終わり」の意味を持つ。
近衛十四郎を殺すも、アンコ達は「人殺し!」「暴力団!」「仲間を返せ!」と鶴田浩二に石を投げつける。
そんな彼らの姿は、これまで鶴田浩二や高倉健の任侠映画に熱中してきた観客の権化のようにも見える。
そして、鶴田浩二はその場で割腹自殺する。

鶴田浩二を「任侠」の象徴とし、殺してしまう。これは『博徒外人部隊』の姉妹作の様な気がしてくる。
そして、ここまでヒロイズムを除去した作劇は、中島貞夫はもちろん、深作欣二にすらできなかった事だ。
やはり佐藤純彌のやくざ映画は面白い。決してゴミカス大作映画だけの監督ではないぞ。
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