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プレイス・イン・ザ・ハートのknktbtのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

鑑賞日: 2017.9.9

レコーダーに偶然録画されていたので何気なく観始めたら、最後まで一気に観てしまった。

1935年、恐慌の時代のアメリカ、テキサス州ワクサハチー。
保安官の夫が酔った黒人によって射殺されたエドナ。それまでは家事と育児のみに従事していた彼女は、家の資産状況すら知らなかった。夫の死後、家にほとんど資産がなく、住宅ローンの期限が迫っているため、家を売って支払うようにと銀行から迫られる。そんな中、流れ者の黒人モーゼス、盲目のウィルが家に住まうようになり、なんとしても家を守らねばと決意するエドナ。綿花栽培の知識のあるモーゼスを頼りに、綿花を育て、その利益で生活すべく奮闘する…。

この映画で何より胸に来たのは、1930年代テキサスの生々しい人種差別の実態だ。
誤って白人保安官を射殺した黒人少年は、すぐさま縛り上げられ、車で引き摺り回されるというリンチで報復される。妻が報復を頼んだわけではないにもかかわらず。
黒人の遺体は木から吊り下げられ、ビリー・ホリデイの歌った奇妙な果実さながらの光景がある。その執行人は町の住人たちで、普段は穏やかに教会で祈りをささげる、そんな人たちだ。一皮剥けばリンチも辞さないそんなメンタリティは、教会で祈りを捧げる際には何を思うのだろう。祈りと暴力が混在するこの映画は、30年代アメリカの田舎社会が抱えていた矛盾を描き出している。
隣人への愛など上辺のものでしかない。夫の死にお悔やみを口にしても、未亡人となったエドナに降りかかるのは、いみじくも銀行員が口にした「厳しい現実に向き合うこと」。不幸な彼女を助けたくともその余裕がない彼女の姉のように、余力のない者たちの共同体、それがエドナの住む町の姿だ。

綿花の販売に成功し、生活の目処がつきそうになった矢先、KKKの服装をした一味がモーゼスを襲い、次の襲撃を恐れたモーゼスはエドナのもとを離れる。エドナ親子、盲人ウィル、モーゼスで築き上げた疑似家族は結局離散を迫られる、なんともやるせない展開だ。

映画は教会や家庭の食卓での祈りから始まり、祈りで終わる。最後の儀式の際、気がつけば出て行ったはずのモーゼスも、死んだはずの夫と黒人少年が列席し、パンとワインで祈りを捧げていた。
観ている側は一瞬混乱する場面だ。
だが、教会での祈りの席では、差別や死別をも超え、皆が共に平和を祈る平等な存在であるというメッセージがわかりやすく伝わる、いいラストだったと思う。

また、途中の嵐のシーンはすさまじかった。アメリカにおけるハリケーンは、いかに私たちの想像以上に甚大な被害をもたらすものであるか、そんな点も感じ取れる点もこの映画の魅力だ。
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