菩薩

サムサッカーの菩薩のレビュー・感想・評価

サムサッカー(2005年製作の映画)
4.4
生きていくのはとても難しい事だし辛いし悩む事ばかりで疲れるしもうやめてしまいたいなんて、あぁぁぁぁぁぁ…となる事ばかりだけど、それでいいんだと思うのだ。周りの人らは当たり前に「人生は素晴らしい!」だとか「毎日ハッピー!まじサンキュー!」だなんて言いながらニッコニコニッコニコしながら生きてらしたりするもんで、俺みたいに毎日「辛い、死にたい、もう無理かも…」なんて言ってる奴はすぐに嫌われちゃったりするけども、別にそれでも良いと思うのだ。そんな自分が今だって全く好きになんかなれないけども、それはもう、それが俺の生き方ってやつで、俺が依存している生き方ってやつだから。ジャスティンみたいな奴は沢山いる、どっかで見つけて来た理論で自分をガッチガチに武装して口先だけの美辞麗句で人を惹きつけて、時には人を打ち負かして、相対的に自分のポジションってやつをキープする事に喜びを感じてしまっている人。それはそれで別に良いと思うけど、でもそれって自分の価値が絶対的に上がってるって訳では無いってことに気づかなきゃいけない。薬に頼って(それも悪い事じゃない、人間死ぬまで生きなきゃいけないから)過ごしたって、薬が変えてくれるのはたかだか睡眠の状況だったり、手先の震えの抑止だったり、動悸・息切れの改善であったり、毎日を「生きやすく」する為の何かと言うだけであって、生き方そのもの、根本の部分では無い、って気付いて俺はかなり前に薬を止めた(金かかるしね)。毎日がどうしても辛いなら、まずは生きるのを辛くしている原因を取り除いていこう、家族、友人、要するに対人関係、学校、仕事、そんなプレッシャー、逃げられるものからは逃げてしまえば良い、それを誰かは「負け」と呼ぶかもしれないが、俺はそうとは思わない、ただ自分の「フツー」と合わないだけだ。皆が自分の「フツー」を生きれば良い、人間は当たり前にブレる、日々変わる、悩んで、答えを探して、見つからなくて、また悩んで、でもやっぱり見つからない、だって人生におそらく答えはないから。けど自分が思う「フツー」があるのなら、自分が思う「フツー」を生きれば良い。皆の「フツー」から外れてしまったら世間は君を普通じゃないと言うかもしれないが、それはきっと間違っている、だから大丈夫だ。勝者は全ての練習(試練)をゲームとして扱う、人生ゲームにクリアは無い、いやあるけどそれはきっと「死ぬ事」だ、だからみんな死ぬまでクリアは出来ないし、その手には自分の為の攻略本が握られているはずだ、だからそれを信じて自分の普通を生きなさい、大丈夫だ、あんたはきっと、大丈夫だ(と俺も誰かに言って欲しい)。
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