亜細亜の娘を配信している動画配信サービス

『亜細亜の娘』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

亜細亜の娘
動画配信は2025年6月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
本ページには動画配信サービスのプロモーションが含まれています。
目次

亜細亜の娘が配信されているサービス一覧

『亜細亜の娘』が配信されているサービスは見つかりませんでした。

亜細亜の娘が配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
Rakuten TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
dアニメストア
Hulu
Netflix
JAIHO
ザ・シネマメンバーズ
WOWOWオンデマンド
アニメタイムズ
Roadstead
J:COM STREAM

『亜細亜の娘』に投稿された感想・評価

✔️🔸『亜細亜の娘』(4.4)及び🔸『我が家の風』(3.7)🔸『東洋平和の道』(3.6)▶️▶️

戦後、平明で毒の少なさが逆に何かをかき立てた田中重雄を中心とした、太平洋戦争前、日中戦争が始まった頃の、いわゆる、時局研究には役立つが、映画単体の力はゼロに近いか、アクだけ強そうな、田中の資質に反する?国策映画たち。実際は変にズレてる。
『亜細亜の娘』。作者も含め、誰もが間違っている(作者がその表面を自覚して、上の指示に従ってるかは不明)、その可能性が均等にあればいいが、やはり日本だけが一段上から悠長に構え、そこに全てが導かれる存在として描かれる。それに、中国人役も全て日本人俳優、日常家族内会話でも、全編日本語しか交わされない。出鱈目も勝手過ぎる。全く、目も当てられない国策映画と括るべきか。しかし、変なこの時代製作ならではのアンビバレントなリアリティ。更にこの画面の途絶えぬ全てを受け入れられる壮重で何かが自然そのものな懐ろ、気づかれぬ格、これ見よがしでない異常な内からの緊張感は何だ。ここで1人いい子を気取ってる日本はやはり、作劇としてフェイクで貶められてるのだ。中国の個人の自由など理想ばかりを言って実は何を考えてるかわからない共産党員らもそれに次ぐ。日本との闘いでとことん信念を貫き、一旦滅び、再生すべきだという、嘗ての大物、ヒロインの父の日中宥和策も狂気を帯びている。そんな中、国民党による、国民気概にマッチしない軍閥勢力からの保安部隊。行き場が分からず、自壊するか、誰彼ない破壊へ向かう、救いがたさは、内容的に馬鹿馬鹿しくも、描写がどんな戦争映画より内側からリアルだ。アクションを際立たせるのではなく、救いのない肢体が何だかわからない機能を目指し、只のたうつ。日本側の憲兵隊もジコチューに見えて、それはおふざけで実は物わかりがいいというのも、リアリティをコケにしてる。菅井一郎は中国人役でありながら、この辺りの日本陸軍の自作自演の、理解できない無軌道を先取りしてるみたいだ。まるでやり過ぎコメディで、ノッて?やってる、現実に無意味キャラだ。誰でも葛藤なく撃ち殺す。
話よりとにかく、カメラ·デクパージュの公式的·純重に見えて、映画を張り出す隙のなく、かつ大胆に拡大してく、美とリアルを越えた破裂可能性ニュアンスの力に圧倒されてく。現地上海らのロケの蜘蛛の足や巣の様に画面を埋め尽くす存在の納得感と、中国建屋や風俗·文化を高度漫画的絵画に纏めきった才は、まるでO·ウェルズに匹敵する。いい加減な国境を超えたラブストーリーもそんなだから、突き抜け得る。手前から奥まで美術と人が、アーティスティックに見えそうで、そんなでもない構図と1つ下からの壮大アクティブ·その時をズカッと活きてるセンス。
最初は異なる場のDIS繋ぎがおおいが、前後左右の過剰で壮重な美術·現実の中、しっかりいつしか90°変での人と場の堅め極め、切返しの漏れないアクション·リアクション、画面手前から奥までフリーに抜け出る人の動き、限定もあまりに印象的顔表情のCU(場に居着く)、いつしか端正無色の橫移動フォローやや寄りめや、図形的美術が重なる等への退き縦フォロー、銃の扱いのリアルで不安定なアップ入れ、現場を奥から捉えてく落ち着いた前後移動、らのケレンも超えたスタイルの醸し出す、美と力とリアルは、ストーリーの欺瞞を逆照射する。
北支事変で、母国の上海に戻る留学生とその妹。人格者で尊敬も得てる富裕な父と日本人の妹的確存在の(養女)出迎え。独力自立中国は可能との息子と、膿出しきるには日本のリード受けか1度潰されるか、の父の齟齬。これに、人格へしゃげ苛烈抹殺行動の保安部隊の将校や、日本で2人の身を預かってた(父同士同門親友)家の青年(記者で妹の恋人)が加わり、検挙や妨害者を、売国奴(情報通じ)カンカン(漢奸)呼ばわりし合う、交錯と行き過ぎ、そして自分の立つ場確認。恋人二人だけが残るも、居場所は、戦線か、故郷か、自然、一体化には向かわない。
レニのヒトラーかたちだけ礼賛記録映画と同じで、映画の美と力に政治的正しさは無力なのか。それにしても、「日本版」とは何? 中国人向け版はどんなのか、中国人俳優主体なのか。吹替え言語だけの差異なのか。ハチャメチャが、度を超してる、とだけでは纏めにくい何かがある。退廃の得も言われね魅力と突き抜けんとする内在か。菅井一郎は、D·サザーランドのようだ。ベルトルッチの狂気と格に優に匹敵する。当時の上海実景、そこからの大胆セットも魅力。脚本·美術の名前に驚く。
………………………………………………
『我が家の風』。これも、対米戦を正当化した国策映画とされてるが、まぁそんな無理剥き出しでもなく、時流を結果受入れ歓迎風。太平洋戦争に関しては良し悪しで言うなら、悪の権化はアメリカというか、国民はともかく、ルーズベルト(+チャーチル)という稀代の狂人なのだから、国策も糞もなく、追い込まれた小心な日本人1部(軍トップら)も狂ったということか。ここでは、真の敵は米国と、先取りしたのが、世界的に浮いて、自決する·海軍から身を引いた男の美化(反対の立場であった元軍の高官だった老父は、真珠湾開戦の日、義理の娘と自決の場の浜を訪ねて会う)。早急な理解のその辺はともかく、また細切れにフィルムが短くなってて、絵も台詞も取りにくいが、キャラ、タッチ共に背伸びせず、自分と係わる世界に、世間に反しても、何を貫くか、ひたむきに静かに向かい進み合う。コンベンショナルより1カット毎が、ひとつ退いて、角度·目線の切返し、向き合うトゥショット、どんでんや90°変らの立体を、厳かに扱う。その分、スッと橫フォローへ入ってる呼吸が、怖じけもまたはらう。浜や波や庭の図や音の自然も飾りでなく、併行する。
自決した兄の為に、婚約が壊れそうなヒロイン。しかし、相手は、彼女の兄の姿勢に、プライベートより先立つ命題に向かっただけで、新しい縁談も無視し、軍人として為すべきを果たして、その後必ず迎えに行くと約す。彼を誤解していたが理解に転じた、友人であり、仲人の息子は上官の彼を身を挺して護り、散る。
………………………………………………
『東洋~』。余り観てないのは前にもかいたが、改めてたいした懐ろの監督(田中の上の世代·重吉)だ。日中戦争時、中国の土地と俳優を使いこなし、その農村の生活が、主として日中激戦の恐怖が周りがかきたてての、暗くうごめきに人の考えも身体も留まってる、状態から、伝を頼り北上の歩きのウェイトも高い旅で、徹底抗日の掛け声.煽りは圧力大も、遺跡や文化都市の保存·重視というだけに留まらず日本軍は無理難題と無縁で友好的であるが分かってきての、風景·遺跡·人々の生活の変化や躍動に満ちた安らぎや躍動感の表し、何故日中は戦争をするのか、華南の抗戦は民衆抜きの上層階級(軍閥を中心とす)のプライド·意固地だけの事ではないか、が描かれて行き、日本軍の包み方を確認し、危険と喧伝されて、逃げてきた南の故郷の農村に無事を超えて·世界の成り行きを確信して戻る、という内容。それ以上に、表現の閉じ籠り感から、自由柔軟弾力伸びだし感まで、実に表現がフリーかつ伝統の力を持ったもので、こんなものを作れるのは、思いつく限り、この作家以外には内田吐夢辺りしか思いつかない。暗く湿った中でも、カメラは縦や橫に束縛をまさぐる力でかき分け動き、遺跡や風景や働く人々に関しては、自由に廻り動き·伸びフォローし、西洋的ともいえる立体感溢れるモンタージュに近いものが行われる。西太后の、軍事に向けるを、私的な美術志向に向け、国力を弱めたを、通り一遍に時代に反したとだけせず、平和への友好面から捉えてるのも、面白い。明らかに日本軍(の正体を隠蔽し~反共だけはあからさまだが)を美化し、中国大衆への教化映画の体だが、面白いし見事な、映画的あり方の醍醐味が現れてるには違いない。中国人俳優の導き·捉え方も見事で、私が当時の現地の人間なら、怒る前に絵空事を、良く仕立ててる、と誉める気もする。フィクションのこととはいえ、目を閉ざされた民衆が主体を獲得する軌跡が描かれてる。文化生活にも少しだけ馴染んで。