ボブおじさん

ビバリーヒルズ・コップのボブおじさんのレビュー・感想・評価

ビバリーヒルズ・コップ(1984年製作の映画)
3.9
30年振りの新作が来年公開されるシリーズの第1作目。当時アメリカの超人気コメディ番組〝サタデー・ナイト・ライブ〟にレギュラー出演して人気絶頂であったエディ・マーフィを主演に据えた痛快アクションコメディ。

デトロイト市警の黒人刑事アクセルは、口八丁手八丁で腕はピカイチ。だが協調性は皆無でトラブルメーカーでもあった😅そんな彼の前で幼なじみが殺される。アクセルは、上司の反対を押しきり事件発端の地ビバリーヒルズへ…。

撮影時22歳だったエディ・マーフィのキレキレのアクションと得意のマシンガントークが炸裂する。一匹狼のアクセルが、仲間と3人力を合わせて事件の解決に向かうところも見どころだ。

当時のデトロイトは、自動車産業が衰退し、失業と犯罪の街と化していた。そんなデトロイトからビバリーヒルズへ単身乗り込む。薄汚れた街から超セレブの街へ、もはやトラブルの予感しかない😅

「48時間」で颯爽と銀幕デビューしたエディ・マーフィは、この作品で世界一有名なコメディアンに上り詰めた。

監督のマーティン・ブレストは、作品数こそ少ないが、この後「ミッドナイト・ラン」「セント・オブ・ウーマン」「ジョー・ブラックをよろしく」などの名作を生み出した。

ちなみに本作でタガート刑事を演じたジョン・アシュトンは、監督に気に入られたのか、次回作の「ミッドナイト・ラン」にも重要な役で出ています😊



〈余談ですが〉
果たしてこの映画のエディ・マーフィのジョークを完全に理解できた日本人は、当時どれ程いたのだろう?

笑いの分類方法は無数にあるだろうが、大きく分けると〝動きによる笑い〟と〝言葉による笑い〟に分類することができる。

チャプリンやキートンが活躍したサイレント映画は当然だがドリフやコントなどは主に視覚に訴える笑いであり、漫才や落語・漫談(スタンダップコメディ)などラジオでも成り立つ笑いは、主に聴覚に訴える笑いと言えよう。

コメディ映画は、その2つが渾然一体となって成立するのだが、動きによる笑いは世界的に共通することが多いが、言葉による笑いは、どんなに翻訳が正しくても、その国の人と同じように笑うことは難しい。

〝風雲たけし城〟や〝バカ殿〟〝とにかく明るい安村〟の笑いは、海外でも通じるが、〝M1やR1の決勝〟や〝すべらない話〟を完璧な翻訳で見せても日本ほどウケることはないだろう。同様に我々も〝ブルース・ブラザーズ〟や〝Mr.ビーン〟で笑える程にはアメリカのスタンダップコメディで笑うことはできない。

理由はいくつかあるが、主に次の2つが大きいと思う。
①音声的要因
駄洒落・韻・同音意義・方言・イントネーション・語呂・語感・隠喩・言い間違い・読み間違い・聞き間違い・流行り言葉・若者言葉・死語・回文・カタカナ言葉・スラング・造語・ダブルミーニングなどの言葉の笑いを外国語で伝えるのは不可能に近い。

②文化的要因
海外では(日本でも)国籍・人種・民族・社会情勢・宗教・言語・出身地・年齢・職業・性別・価値観の違いによるギャップを使ったジョークが多いが、例え外国語が堪能でもその国に住んでいないと理解できない(伝わらない)微妙なギャップがある。

一例として国民性の違いを前提としたエスニックジョークは、アイルランド人・ドイツ人・イギリス人・フランス人・ロシア人・ユダヤ人・黒人・ヒスパニック・メキシコ人・中国人・日本人などがどのようにカテゴライズされ、バイアスが掛かっているかを知らないと全く笑えない。

笑う為の事前知識が無いと英語がわかったとしても何が面白いのかわからないのだ。この映画の中でアクセルは、自分が黒人であることを思いっきり利用した自虐ジョークを連発している。この辺りは、当時のアメリカでの黒人の立ち位置を理解していないと笑いどころが掴めない。

更にローカルな黒人であるアクセルが都会の黒人をディスる場面があるし、黒人自体をディスるジョークもある。ジョーダン・ピールの「ゲット・アウト」などでも黒人と白人の言葉づかいや仕草のギャップによる違和感を笑いにしているし、それが重要な伏線にもなっている。そういえば、その昔「ミスター・ソウルマン」なんて映画もあった。

こうした背景を理解していないと全く笑えないジョークというのが無数にあり、特に人種・出身国・宗教が入り乱れているアメリカでのマイノリティいじりのジョークは、時と場そして相手を選んで言わなければ袋叩きにも遭いかねない😅

記憶に新しいアカデミー賞の授賞式で起きた、ウィル・スミスとクリス・ロックのビンタ事件は、簡単に言えば両者の笑いの境界線の違いが原因だ。同じ人種で歳も近い、おまけに共にスタンダップコメディ出身の彼らでさえ1つのジョークの捉え方に雲泥の差があった。

人種も国籍も言語も宗教も風習も笑いのツボも全く異なる、私も含む多くの日本人は、おそらくこの映画のアクセルのジョークの半分程度しか響かないのではないだろうか?

逆を言えば、この映画を見て大笑いできる日本人は、英語スキルだけでなくアメリカでの黒人文化や社会事情にまで精通したかなりの上級者と言えるかもしれない😊