脳内金魚

アメリカン・ヒストリーXの脳内金魚のネタバレレビュー・内容・結末

アメリカン・ヒストリーX(1998年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

総じてアメリカに於ける人種差別問題を丁寧に描いた佳作だと思う。思うのだが、『オッペンハイマー』でも感じた、「加害者側の罪悪感などの感情は被害者側の救済より優先されるべきか」という違和感は正直拭えなかった。恐らく、主人公デレクの改心するまでのシーンに奥行きがないために、余計にそう感じたのだと思う。ラスト、殺された弟ダニーを抱きしめ、デレクが「あんまりだ」と慟哭するが、それはデレクか殺した黒人二人の家族も思ったことだろう。1998年作なので、今作ればデレクの心境の変化などももう少し違ったアプローチもあったのかもしれない。


デレクが刑務所で白人グループから離れたのは、グループのリーダー格がアメリカの寄生虫と唾棄するメキシコ人と交流をしていたのに納得がいかなかったからだし、同じ白人だからと言って味方とは限らないと気付いたのは、離脱を原因に「同じ」白人からレイプされたからだ。服役する前は家長然とふるまい家族を支配しようとしていたのに、母やスウィーニーにダニーのことを言われても自分に責任はないと宣う。この段階では、デレク自身改心したとは言いきれず、世界は「人種」で敵味方が分けられるほど単純ではなく、自分は狭いコミュニティのなかで粋がっていたに過ぎないと気付きだしたというところだろう。彼が本当の「差別」を知ったのは、片や暴行罪で6年の懲役を食らう黒人と、片や黒人二人を殺害して3年の懲役を食らう白人がいると知ったときだろう。デレクが想像したような、「寄生虫が優遇されている」世界などなかったのだ。このあたりのデレクの心境をもう少し丁寧に描いていたら、ダニーがデレクの話を聞いて脱会を決めるシーンにもっと説得力が出たのになと感じた。


後半のダニーがデレクの半生を振り替えるシーンはとても丁寧に描かれて、逆にこちらは訴求性が高かった。人は生まれたときからレイシストになるのではなく、周囲の影響を多大に受けるのだと言うことが分かる。父の生前、デレクはスウィーニーを「黒人」ではなく、「博士号を二つもつ一流の先生」と見ていた。スウィーニーを単なる「黒人」としてカテゴライズされたなかではなく、名前を持った「ひとりの人」をきちんと認識できていたのだ。それに対して父は「疑いの目をもって全体を見ろ」と諭す。父にとっては世の中は、白人でも黒人の文化に触れれば黒人という、「白人」か「黒人」かという極端に単純化されたものだ。夫婦間の会話や父親の言動から察するに、父親は高等教育を受けていないのかもしれない。彼の差別意識は教育や知識の欠如から生じているのだろう。人間は知らないことに関して考えることはできない。逆に知識があれば、問題を解決したり、逆境から抜け出す術を考えつくことができる。だからこそ、出所したデレクは弟妹達に再三再四「学校は辞めるな」と言い続けたのだろう。それは、かつてスウィーニーの授業で得たものや刑務所内で彼に差し入れられた本に、デレク自身が活路を見出し慰められたからであろう。父が語った職場の話も、確かに逆差別の一面もあったのかもしれない。だが父には、ではなぜそうした配慮が必要なのか。それは彼ら黒人が、教育を受ける機会に恵まれなかったからかもしれない。白人と黒人ではそもそもスタートラインが違い、彼ら白人が逆差別と思っているのは、自分たちが下駄を履かせてもらっていることに気付いていないのかもしれない。それは、彼に社会問題を知るきっかけがないからかもしれないし、そう言う問題があるという知識がないからかもしれない。そしてなにより重要なのは、デレクにとって父は「いい父」だった点だろう。だからこそ、彼は父の言葉を無批判に受け入れたのではないか。自分にとって「普通のいい親」の考えに、人格形成過渡期で社会経験も未熟な子供が疑問を抱き否定するのはなかなか難しい。なぜなら子供にとって親は最も身近な規範だからだ。それを否定することは、自身の倫理観の否定も同然だからだ。ダニーがこの点に気付いたのは、デレクと言う反面教師がおり、そのデレクがダニーが知識を得ることを途絶えさせなかったからではないだろうか。


『SKIN』でも描かれており、先にも言ったように繰り返しになるが、レイシストは生まれたときからレイシストなのではないし、レイシストが必ずしも極悪非道な人間ではないのだ。レイシストとは別に、彼らもよき父、よき夫の一面も持っている。だからこそ差別をなくすのは難しいのだろう。それは、人が無意識に抱いているもので、その存在は知ろうとしないと気付かない。なぜなら、恵まれている人間は、えてして自分が恵まれていることに気付かないからだ。差別もまた然り。差別している側は差別の存在そのものに気付かない。差別は人が作るのではなく、社会が作るのだ。本作の結末もまた、差別そのものをなくすことの難しさと、アメリカにおける格差社会や人種差別問題の根深さを象徴していると思った。

ハルクでは、基本人格は善人だし、ハルクになったときはそもそも理性がないので違和感はなかったが、今作は、見る前は優男過ぎてエドワード・ノートンでは正直ミスキャストでは?と思った。けれど、パンプアップして凄むと柔和な顔とのギャップゆえか、ものすごく迫力があり、キャスティングした人はすごく見る目があったなと感心した。
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