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嵐を呼ぶ十八人のbluetokyoのレビュー・感想・評価

嵐を呼ぶ十八人(1963年製作の映画)
3.0
どうしようか。せっかくだが、あんまり面白くはない。
吉田喜重監督の嵐が丘を思い出してしまった。実はDVDを買っていて期待して見たのだが、なんど見ても面白くないのである。
ひょっとすると、吉田喜重監督は、面白さを目指しているわけではないのかもしれない。
ただ、だとすると、山田洋次監督の「男はつらいよ」はどうなのだろう。完成したとき面白くないものを作ってしまったと非常に後悔したそうだ。ドキュメンタリのような感じで話も軽さはまったくない。ところが、上映されてみると、客をおおいに楽しませる娯楽映画だったわけだ。リアリズムは臨場感として受け取られたのだろう。

この映画はどうだろうか。まず思い浮かべるのは、スクールウォーズ(見ていないけど)のような学園モノのドラマである。主人公として教師がいる。そのまわりには子どもがいる。そういった構図そのままなのだ。
だからといって、そうした作品の原型になった、と言いたいわけでもない。だが、もし、そうなら、入れ物、様式だけを作ったわけで、それなら、面白いわけがないのだ。

主人公の島崎宗夫は、造船所に出入りする下請け、大和田組の臨時雇い工だ。こうした工員は、技術力があれば、腕一本で各地を回る流れ者の職人ということなのである。条件がよければ、その土地で働き、気に入らなければ、ほかの場所に流れていく。島崎宗夫は、そうした種類の男なのである。
とはいえ、なぜか(その理由はだんだんわかってくる)、この土地に長居してしまっている。イラついて酒と博奕にカネが消えていく。
そんなとき、係長の村田から寮の寮生の管理をすれば、臨時給与を出すと言われ、しぶしぶ引き受ける。
寮生は18人、大阪から来たヤンキーたちであった。
島崎宗夫、ゲッ、なんでこんなヤンキーの面倒を見なきゃなんないの、と不平を言うが、実は、それは、風来坊だったころの自分の姿だったわけだ。
そんな島崎を飲み屋の娘、石井ノブや村田の妹で高校の教師の久子は、いろいろと愚痴を聞いてやったりするのだ。そう、なんで、この土地にいるのかというと、とくに、ノブの存在が大きいわけだ。
そんなことをやっているうちに、18人のうちの一人に、ノブがレイプされるという事件が起こる。それで、ノブは広島に行ってしまう。
島崎宗夫は、ノブがいなくなって、初めて、彼女を愛していたことに気付き、広島まで追いかけ、彼女と結婚の約束をする。
18人は北九州に行くことが決まった。出発の前日は、島崎とノブの結婚式の日だった。
当日は雨だった。式場の教会から出ると、外の広場に雨に打たれながら18人が無言で立っていた。島崎は彼らが別れを惜しみ、かつ、結婚を祝っていることを知るのだった。
18人の出発のとき、島崎はホームで見送るのだった。終わりである。

さすがに、最後のシーンは、グッとくるものがある。
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