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パラダイス・ナウのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

パラダイス・ナウ(2005年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

イスラエル占領地のヨルダン川西岸地区の町ナブルス。幼なじみサイードとハーレドは、この地区の他の若者同様、希望のない日々を送っていた。そんなある日、サイードはヨーロッパで教育を受けた女性スーハと出会い互いに惹かれ合う。しかしその矢先、彼とハーレドはテルアビブでの自爆攻撃の実行者に指名されるのだった…。

自爆攻撃へ向かう、2人の若者の48時間を描く「青春映画」の秀作。
私たちがテロリストと呼ぶ人間が、最後の一日をどう過ごすか?に焦点を当てた異色のドラマだ。

パレスチナの若者は占領下に生まれ、毎日のようにイスラエルの軍隊に侮辱を与えられている。
仕事も上手くいかず、希望もなく、自分達にできることは何もない、そんな無気力な若者がパレスチナ過激派に自爆攻撃を命じられる。
自分は臆病で、無力だと感じている若者に、唯一できる英雄的行為が自爆攻撃だと思い込んでいる。

ハーレドは殉教することによって英雄となることを喜び、サイードは密告者の息子という汚名を晴らす為、指令を受け入れる。
しかし、サイードにはお互いに心惹かれあう女性スーハと自爆攻撃を決して喜ばない母がいた。
やがて決行の日、二人は髪とひげを剃り、腹には外すと爆発する爆弾が巻かれた。
決行の場所へと向かう二人。
しかしその途中、思わぬアクシデントで二人を離れ離れになってしまう。

劇中の2人は、どこの国にもいる現状に不満を持つ、只のヤブレカブレな若者のごとく見える。
どこの国でもある、若さゆえの破壊衝動や現状打破の感情が2人には垣間見え、どうにも共感してしまうと同時に、その共感する相手が恐ろしいテロリストなんだとハッと気づき、恐怖してしまう。

自分が死ぬことで敵を倒し、英雄になれる、そこで初めて生きている実感が持てる。
そこには日本の神風特攻隊にも似ているが、「お国のために」と、ヒロイックな使命感に無理矢理自分を奮い立たせ、背伸びする悲しさが見えてくる。

自爆攻撃者は、同じ瞬間に加害者にもなり、被害者にもなるという、矛盾する二つの現象が共存する極めて稀な存在の戦士。

しかし、監督は自爆攻撃者を讃える気など全くないのだろう。
面白いのは自爆攻撃前の人生最後の一日の描かれ方。
思ったより小柄でフツーの人だった過激派の伝説のリーダー。
爆弾を体に巻くテープの品質が悪くて剥がれ落ちたり、テロを決行する決意と家族へのメッセージを読み上げたビデオを撮影するが、カメラの調子が悪くて何度か撮り直しをさせられる。
そのビデオの撮影時には、周りの連中が立ち食いして緊張感をぶち壊す。
間抜けさ、滑稽さが漂っているのだ。

監督は「聖戦の現実なんて、こんなもんさ…」と自嘲気味に描いており、決してテロをカッコいいなどと肯定してはいない。

サイードとハーレドは、最初は組織の人間に指名され、そのまま受け入れたが、最後は結果的にそれぞれが自分で決断して行動する。
サイードは、ハーレドとはぐれて単身イスラエルに向かった時、バスを吹き飛ばすチャンスがあったが、そうしなかった。
同乗する子供を道連れにできなかったのだ。
しかし、最後のシーンではバスは兵士でいっぱい。
兵士と自分を同一視できたサイードがアップになり、映像が真っ白になって終わる。

全ての人間にとって最後に死ぬということは変えることのできない運命だが、しかしその過程は人それぞれで変えることができるのだということが示唆される。
だが、結末が分からないのは難点だ。

本作は実話をもとにしてはいないようだ。
ドキュメンタリーは現実を切り取り、沢山情報を入れることができるが、フィクションは感情移入しやすく、見る者が自ら考える隙を与えてくれる。そこがいい。

外部にいる人間としては「テロリスト=悪」と考えがちだが、決してそんなことはない。
どんな人間も、希望のない状況に追い込まれれば、彼らと同じ選択をしてしまいかねないだろう。
彼らにとって自爆攻撃は報復であると同時に、「死んだほうがマシ」な人生から脱け出すための手段だったとも言える。
その短絡的な思考と行き止まりの切なさが「青春映画」なのである。
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