ケンヤム

地獄の黙示録のケンヤムのレビュー・感想・評価

地獄の黙示録(1979年製作の映画)
5.0
自分の映画体験の源流のような映画。
それを、スクリーンで観れる日が来るなんて。

なぜこの映画が自分にとって特別なのかというと、病気で寝込んでいるときに観たということが大きいように思う。
その時は「世の中なんて全部嘘っぱちだ」なんて毎日考えながら、寝込んでいる状況だったから、この映画を観た時ウィラード大尉に感情移入しまくりだったし、カーツ大佐に心酔しっぱなしだった。
この世はバーン!とじゃなくてメソメソと滅びていくんだという諦めのような絶望感が映画全体に充満していて救われた。

病気が治った今、この映画を観てもやっぱり救われた気持ちになる。
そうだよなウィラード大尉、カーツ大佐。
世の中なんて全部嘘っぱちで、くそったれだよな。わかるよわかるよという感じだ。
嘘っぱちでくそったれだけど、ウィラード大尉はカーツ大佐を殺してアメリカに戻る。
誰にもわかってもらえないかもしれないけど、帰る場所はないかもしれないけど、生きていくしかないんだという諦め。
そこに救われる。
この諦めは、地獄の黙示録の撮影に疲れたコッポラの諦めでもある。
映画を撮るということ自体の狂気が、ベトナム戦争の狂気そのものと同化していく過程をこの映画は見せてくれる。

前半と後半で明らかに毛色が変わるのは、その狂気が現場を支配していったからのように思う。
前半は明らかにアクション超大作のようなつくりなのに、後半どんどん映画の雰囲気が陰気くさくなって来る。
あの報道カメラマンの言っていたように、メソメソとした雰囲気になってくる。

マーロンブランドが太りすぎて動けなかったという要因もあるらしいが、意図したところもあるのではと思う。
過酷な現場で狂っていく演者やスタッフたち。狂っていく現場そのものをフィルムに焼き付けたかったのではないか。

だから、私はこの映画の尻つぼみな後半も意外と好きなのだ。
むしろ初めて観たときの自分は、この後半の陰気臭い雰囲気に救われたのだ。

この映画はコッポラが現代に産み落とした悪魔だ。鬼だ。死神だ。
ケンヤム

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