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2001年宇宙の旅のtsuraのレビュー・感想・評価

2001年宇宙の旅(1968年製作の映画)
5.0
どうして。これ程に心は騒めいているのに上手く説明出来る言葉が見つからない。
そして、何処から話を切り出せばいいのだろうか。

あまりの凄さに見終えた時の疲弊感たるや。

なかなか本作のレビューを書くことに時間を割いてしまった。

未だ自分の答えに辿りつけてすらいない。

書いても書いても見えぬ先。

推敲の余地はあるがこの辺りで一つ書ききったレビューなので、読み難いところはひとつご了承願いたい。

思えば鑑賞したのは10/14だから笑


それにしても、だ。

凄かった。
これが映画館で観る、という行為なのだろう。


まだ映画少年として兎に角片っ端から沢山の映画を観ていた自分が最初にぶつかった壁が本作だった。

理由は簡単。

作品の意味を理解出来ず汲み取れなかったから。
正直この壮大な宇宙へは誘われる事が無かった。

そしてこの時、大人になって然るべきタイミングがあればもう一度この作品を観て触れたい…そう感じた当時の自分。

で、その然るべきタイミングが漸く巡ってきた。

5月にカンヌ国際映画祭でお披露目されて以降、
私の中で崩せなかった壁と対峙する日がまさかこの70mmフィルム"アンレストア版"の特別上映で体験できるとは!

このフィルムが海を渡ってきただけでも奇跡なのに、東京は国立映画アーカイブまで、わざわざ奈良から足を運んできた甲斐があった!

前売りチケットが取れず、観れるかも分からない中、整理券獲得のために早朝から並び…整理券番号がギリギリながらなんとか手にしたチャンス。

久々の東京への独り旅はまさに時を超えてまるで何処かの次元に嵌り込んで彷徨っていた自分との邂逅の様でもあった。

自分の話の背景に触れたところでこの作品のそれもこの特別上映の何が凄いのか少し触れずにいられない。

この作品はクリストファーノーラン監督の協力を得て68年公開当時の画と音の再現を目的に作製された。
オリジナルのネガはかなり劣化していたそうだが、復元にあたってはオリジナルにあったキズ等は残して、公開当時の雰囲気を残すことに注力したそう。
劇場での上映にあたってもワーナー・ブラザース社より上映方法は徹底された指示がありそのフォーマットに今回の特別上映も則っている。
カーテンが開く幕前の音楽、インターミッションの音楽、退出時の音楽(ここは美しき青きドナウが最後まで流れる)そんな徹底もすごい。

スクリーンにもこだわりがあったそうで、シネラマ=湾曲スクリーンで、本作自体、その大きさに合わせて作られた作品であることからそれに見合った上映になっていたそうだ。
(公開当時、日本国内でそれに一番相当していたのがテアトル東京と大阪であればOS劇場)

上映にあたってもフィルムなので映写機も必要で10数キロにもなるフィルムを何回も取っ替え引っ替えは勿論、容易で無くこの特別上映は2週間の期間中12回しか上映されなかった事からもこの特別上映を見ることの価値も想像に難くない。

作品のバックボーンを語ってるだけでもその凄い労力に舌を巻いてしまうが、この作品を映画館で見た価値は有った。
それも奈良から出向いた価値は大いにあった!というわけだ。


さて、その観た感想であるが。


本当はこの興奮を序文で触れておきたかったのだが、これは鑑賞ではなく"体験"だった事を伝えておきたい。
(実体験というよりは追体験なのだが)

上述したクリストファーノーラン監督作「インターステラー」でクーパーが(思えばマシューマコノヒーも本作のイメージを継承したような風貌)5次元へ引きずりこまれるそれはまさに本作が影響していたのだと改めて認識。
しかし50年も前の作品なのにキューブリックはやってのけた。

木星から更なる次元の彼方へと踏み入れるスターゲイトのそれは、究極という言葉以外その表現方法の説明のしようが無い。

かの岡本太郎が「芸術は爆発だ!」みたいな言葉を引用するならまさしくこのシーンはそれに当たる印象。

ボーマン船長が目にする人類の視覚情報の限界を突破してからの体験に至るそれは見ている私達でさえ脳内のあらゆる部分がフルスロットルに動いても到達し得ぬ想像と創造の頂点。
超絶的な美の結晶とも言えるだろう。


人類の夜明けのオープニングにもこんなにも"意味"があったなんて。
中学生には理解しがたいのも無理ない笑

しかし猿人がモノリスによって"叡智"に触れ発想を得る瞬間、人類はまさしく途方も無き進化への道に踏み込んだわけである。

モノリスを通して見る人類の進化はやがて宇宙の真理に触れ、神と対峙するというわけか。

その超越した世界は神秘的であり宗教的な概念に近いが、それほどの領域が映画全体を構成している。

もはやその世界に乾杯、ですらある。

映画の感想から大きく脱線したが、映画の殆どはクラシック音楽か無音で構成しておりセリフは少ない。
その幻想的な映像に酔いしれる為のミニマリズムの極致。

これは意図されておりキューブリック自身も映像と音に重きを置いている事を認めているらしい。

しかしその"音"が凄い。
ここにこそ映画館で見る事の価値が凝縮されていた。(矢張り良い映画は映画館でこそ見るべきなのだ)

無音が如何に緊張感を張り詰めるのに効果的か本作は逆に饒舌に奏でている。
音楽をしていれば休符が休みを取る為の拍でない事は周知の通り。
寧ろその休符にこそ音を保つ又は緊張感を生み出すツールとなっている仕掛けなのだがこの作品の無音はまさにその空気感を作り出しており映画を最大限に引き出している。

いや、寧ろ音や音楽が流れるたびそれがシナジー効果を生み一層のドラマ性を作り出している。

シンメトリーに着飾った宇宙船やある種完璧なHALなどの人工物より精緻なモノリスが現れるたび流れるリゲティのレクイエムが強烈なショックを与える。
その衝撃は人類の進化と螺旋の様に織り交える。

いや、しかし最も重要なのは矢張りオープニングのその完璧さ。
「ツァラトゥストラはかく語りき」に見る宇宙はそれはそれはもう雄大で壮大で。
まさかあのトランペットの音色がこれ程までに金色の光を放つとは。
リンクするイメージは時代を経ても不滅の普遍性に満ち溢れている。


この作品について、もっと語りたい。
ストーリーの核心に触れ、言葉を書き連ねたい。

しかしあまりに触れるべき部分が多くまた多面的なのに語れば語るほど蛇足に思える。

いつか私はこの作品を上手く語れる表現者になれるのだろうか。

長文になればなるほど駄文にしてしまうこの作品に苦しみつつも圧倒的な魅力に酔い痴れた。

大地に射し込む太陽の光の如く、燦然と輝く本作こそ私のオールタイムベスト。
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