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座頭市逆手斬りのodyssのレビュー・感想・評価

座頭市逆手斬り(1965年製作の映画)
3.5
【藤山寛美と勝新】

座頭市シリーズの第11作。

今回は無実の罪で投獄された男と同じ牢に一時的に閉じ込められた座頭市が、男に頼まれて無実を証明するために人を訪ねていく、というお話。そこに糞坊主役の藤山寛美が同道します。

もっとも、座頭市は当初は依頼を断ろうと考えます。今まで人の頼みをきいたせいでさんざん危険な目に遭ってきたことだし、命は一つしかないし、というわけで頼まれた方向とは別の方角に旅をするのですが、運命の巡り合わせて結局依頼に添って行動することになってしまう。

今回は、まず藤山寛美が見どころでしょう。僧侶ながらでたらめな男で、途中でいったん座頭市と別れるのですが、座頭市の名を騙って用心棒として雇われ、贅沢な食事や酒をねだり、挙げ句の果てにトンズラという行為を繰り返す。(つまりこの第11作になると、座頭市の名は世に知れ渡っているという設定になっている。)ところが図に乗ってあんまを呼べと命じたところ、やってきたのは・・・・(後は書かずとも分かりますね)。

この二人の掛け合いがまず楽しい。そして藤山寛美は、単に素っ頓狂なゲスト出演者というにとどまらず、筋書きの上でさらに・・・・(ネタバレになるので省略)となっているのがミソ。偶然が過ぎると言えばそれまでですが、この辺の脚本はよくできています。

ヒロインは座頭市が偶然ヤクザから助け出す女である滝瑛子。第9作に続いての登場ですが、筋書き上の関連はありません。ここではちょっとおきゃんな女の魅力をよく出しています。

監督は第二作から久しぶりに登場の森一生で、そのせいかどうか、この作品は映像面でも充実していますね。特に後半、ところどころで浜辺に波が寄せる映像をごく短時間挿入していますが、これは舞台が銚子で海辺の町だということを暗示するだけでなく、例えば殺陣の直前にこの映像が入ると、嵐の前の静けさが観客に伝わってくるのです。

殺陣も、敵方が座頭市を罠にかけようと様々な工夫を凝らしていますし、逆に座頭市も二刀流を披露しているのが見どころでしょう。

筋書きで言うと、最後にすべてめでたしめでたしと分かって大団円とはならない。ちょっと物足りない終わり方なのですが、それがかえって座頭市の孤独と人生の不条理を観客に伝えてくれます。

映像と脚本双方が充実していて、シリーズの中でも出来のよい作品と言えるでしょう。
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