叡福寺清子

宇宙大怪獣ギララの叡福寺清子のレビュー・感想・評価

宇宙大怪獣ギララ(1967年製作の映画)
2.3
「音楽:いずみたく」というクレジットで東宝映画じゃないと強く確信したわけであります.当然ながら伊福部マーチが,作品に高揚感を与えることもないので物悲しい気がいたします.
他のレビュワーさんが記載されておられるように,月基地での娯楽等に代表される前半の無駄な描写は惨劇という言葉がふさわしいでしょう.加えて登場人物の多くが性格破綻者だった事も惨劇に火に油を注ぐ感じで,視聴者に無駄な疲労感を与えます.
満を持してのギララ登場で,面白くなるかといえばそんな事もありませんでした.一番の問題は,眼前のギララが怪獣という超自然的存在として描かれていないことです.巨大感を出す努力は認められますが,残念ながら成功しているとは思えない.もっとも東宝作品と同レベルを要求するのは酷でしょう.住民の避難シーンなんか,まさに雲泥の差ってやつです.ギララの被害が甚大なのに,それをあまり感じさせないのも残念でした.
そして最大の問題シーンがリーザ博士の足(惚れた腫れたの心理描写は見なかったことにします).巨大物に足を挟まれたリーザ博士がいつのまにか救出されたり,何十キロも走ってきたのは,実は博士はロボなんじゃないかと疑います.
以上の事柄を鑑みて,結局本作の価値は「松竹初の怪獣映画」という一点のみであることが確認できました.