検非違使

牝犬の検非違使のレビュー・感想・評価

牝犬(1931年製作の映画)
2.0
「死ぬまでに観たい映画1001本」931+214本目

うだうだと無駄なフランス語の会話ばかりが続くと言うイメージだが。
正直なところ面白さが全くわからなかった。

<あらすじ>
映画はメリヤス株式会社の宴会から始まる。社長をはじめ、社員たちは盛り上がっているが、ルグランだけは仏頂面をしている。生真面目な彼は宴会が楽しくない。社員たちは2次会に行くが、ルグランだけはそそくさとその場を後にする。帰途につきながら、彼は男女の痴話喧嘩を目撃する。女が男に張り飛ばされるのを見て、思わず助けに入ったルグラン。その後、ルグランは女を送り届けるが一目惚れしてしまい、再会の約束を取り付ける。

女はリュリュ、男はデデという名前だった。リュリュはデデにぞっこん惚れ込んでいるが、デデはそうではない。彼はヒモでありジゴロであり、リュリュに貢がせてはその金をポーカーで溶かすような男なのだ。デデは、自分を押し飛ばした男(ルグラン)がリュリュに惚れていることを察知して、できるだけ金をせしめるようリュリュに指示する。リュリュはデデの言いなりなので、別に好きではないルグランと過ごし、会話をし、愛人のような関係を結ぶ。

恋は盲目、ルグランはリュリュに金を貢ぎ、欲しいものを買い与え、部屋まで用意する。ここら辺は黒澤明監督の『生きる』に近い感覚で見れる。冴えない中年、生きるために生きているような枯れた男が、若い女が放つ眩いばかりの生のエネルギーに触れ、自らの人生を問い直す、と言う構成は『生きる』にも『牝犬』にも共通しているように思える。ただし、『生きる』の主人公がヒロインの持つ無邪気な性質に自身の生の疑問符に対する解答、生きる指標を見出したのに対し、『牝犬』のルグランはリュリュ自体に生きる意味を見出している。若い時に遊ばないと年経てから遊ぶようになると言うが、彼は失われた青春を取り戻そうと無謀な尽力をする。歯止めが効かなくなり、自分の描いた趣味の油絵を叩き売って金を作り、吝嗇な妻の目を盗んでタンス貯金をちょろまかし、挙句に会社の金を横領してまで彼女に尽くすようになる。こうなったらもう人生の下り坂を転げ落ちていくしかない。
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