Jeffrey

遥かなる青い海のJeffreyのレビュー・感想・評価

遥かなる青い海(1971年製作の映画)
4.0
‪「遙かなる青い海」‬

冒頭、アラスカの基地。

傷を負った青年。髪を切られ、治療され、目覚め脱走する。絶海の孤島、小動物、モアイ像、辿り着いた島。草原、牧場、馬に乗る。焚火、炎上、今、青年の大冒険が始まる…

本作はフォルコ・クィリチ監督が71年に撮った小さなカヌーで島渡するポリネシアの青年を淡々と描く作品で、

海を共通のテーマにしたオセアニア三部作とされている完結編になる本作をこの度初見したが素晴らしく美しい海や海中の描写の中、餌に飛び付く鮫の荒狂う画や酷い描写など、

冒険ロマンスとして観れる一本で、ロケーションが風光明美で澄み渡る青い海には圧倒される。

文明に頼らず原始的な生活を歴史に載せて繰り出す数々の価値ある伝統、男女の戯れ、踊り、一面紺碧の海が見る者の心を癒し、素朴な頃の自分を思い出させてくれる奇跡の様な一本だ。

物語はアラスカの基地の病院で傷の手当てを受けている青年が意識を回復し脱走する。

島で暮らすには土が必要で、あらゆる島にある土を求めてカヌーで航海する。

そこでは危険な目や見知らぬ人との交流、波際で踊ったり、鮫との一騎打ち、毒を集めたり、育ててるパンの木、束の間の恋、

白人の老人や原住民たちに死刑宣告されたり、波乱に満ちた彼の冒険にほんの少しの文明が足され、物語は信じ難い大団円を迎え、我々に多大なショックを与える…と簡単に言うとこんな感じで、

核実験に対しての批判も描かれている。

いや〜あの鱓だけを捕獲するグロテスクな描写は強烈で印象を受ける。

にしてもこの監督の一貫するテーマ性には頭が下がる。それは文明の価値観対自然の価値観を関わり合わせ、次第に文明が齎す破壊行為を観客に問おてる所だ。

それに関してはチコと鮫のが強烈に滲み出ていたが、本作もドキュメンタリー風に作り、珊瑚礁の島々で豊かに暮らす為の術を築く青年の航海が映されてる。

まるでチコと鮫のラストから続く、続編の様な始まり方から勝手ながらにチコが本作の青年タナイ…なんじゃ無いかと思ってしまう、邪推だが…。

北極圏のアラスカから南太平洋のイースター島までの現地ロケはかなり大変だったと思うが、その海底から海上へ、そこから空中までの一連の撮影アングルは凄じく、インパクトがありリアリズムがある。

チコと鮫の音楽も素晴らしいが、本作のモリコーネも最高なメロディを放つ。そこには都市社会の組織に属する我々の日々の不満など一切無く、あるのは生き生きとする純粋な夢と愛だけだ。

これ程までに感動に満ちた幸福な青年の表情を見た事が無い。

本作はナレーションがあり、ちょくちょく引用しながら印象的な言葉を話す。

ポリネシアからアラスカまで15,000キロの海をたった1つの小さなカヌーを漕いで渡る現代人は今の世の中どこを探してもほぼいないだろう…と言っても映画の中の話だから実話ではないんだがね。

この映画で最も好きなシークエンスが1つあるのだが、それは馬に乗って生活する人たちの島へたどり着いた青年が彼らに迎えられるも、

ポリネシア語を既に覚えていないその人たちはスペイン語しか話せない…だが血筋は一緒で言葉が通じなくても人間的感情の交流をしようと踏ん張る場面なのだが、本当に素晴らしく感動する。

学位も無ければ友達も居ない彼だが、自然と生き、身体で覚えた知識と知恵で鮫退治もする。

物語は佳境につれ大きな海のロマンチシズムを目一杯スクリーンから解き放ち、爽やかな微笑みその全てが愛おしくラストの帰結に涙する…

どんどん観光地化して行く島々の悲痛な声が聞こえる傑作だ。

最後に、きっとクイリチが訴えたかった事は文明に破壊されてきた最後の平和と姿を映画のフィルターを通して伝えたかったんだろう。

彼による沈黙の最後の抵抗なのだろう…深く考えさせられた映画だった。‬
Jeffrey

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