そーた

ハリウッド★ホンコンのそーたのレビュー・感想・評価

ハリウッド★ホンコン(2001年製作の映画)
3.5
逆転の表現手法

不快なものは極力見たくありませんが、それこそが表現手法なんだとしたら。

じっとりした不潔さや香ってくるような生々しい質感の上に、
透き通るような美しさと無垢で純粋な感情を散りばめたようなこの作品。

ちょっと初体験な映画でした。

ダイホム村という実際に存在した粗末なスラム街を舞台に焼豚屋の少年と謎めいた少女が交流を深めていくストーリー。

このストーリー紹介。
ちょっと簡潔に書きすぎました。

ストーリをこんな風に紹介しちゃうと、何だかハートウォーミングな作品を想像してしまいますね。

がしかし、
オープニング一発目のパンチ力。
恐らくどの映画をもとことん凌駕するインパクトがあって、
その衝撃的なクオリティーに最後の最後まで妥協することなく、
むしろ更に"どぎつさ"を増していきながらクライマックスへと突き進んでいきます。

この"どぎつさ"の正体。

欲望と呼べば分かりやすいかもしれません。

欲望をさらけ出して貪る。
焼豚を頬張り、セックスしたり、
人を利用して陥れたり、制裁を加えて復讐したり。
食欲に性欲、金銭欲に支配欲···

人間の行為って傍目から見れば、
ブタが餌を貪ってるかのように見苦しいんです。

そんな人間の見苦しさを、僕たち観客は映画という境界の外から傍観するわけです。
まるでそれって、
劇中に出てくる超高層ホテルから麓のスラム街を見下ろすかのよう。

でも、そんな傍観者だって、
ダイホム村の住人に見紛う浅ましさや強かさを備えていることはよくよく考えてみれば分かります。

こう考えていたら、
ふと藤子・F・不二雄の短編『ミノタウロスの皿』が、頭に浮かびました。

あの漫画で牛に人の役割を演じさせたように、今回の映画では人にブタのような振る舞いをさせる

逆転の発想。

この映画で、
極端に普通の映画と違う部分が、
この転置を観客の快不快の感覚部分にももたらしているところ。

ごく普通の一般受けするような映画って、観客が抱く快不快の感覚って快の方が大きいはずなんです。

この映画では不快の方が圧倒的に大きくて、その中にほんのり快の演出が散りばめてある。

その不快感がアーティスティックな映像と混ざりあって得も言われぬ唯一無二な世界観を作り上げているんです。

ブラックユーモアがあまり得意じゃないひと。
デブ男の裸エプロンが生理的に受け付けない人。
『ベイブ』を見て子ブタちゃんに愛着を持っている人。

ちょっと見るのは辛いかも。

でも、
ジョウ・シュンの透き通る美しさだったりアジア映画特有の空気感は一見の価値ありです。

個人的にはジョン・ウーへのリスペクトなのか、
『ブロークン・アロー』のポスターがツボでした。

あぁ、
この前中華街で貪り食べた焼豚まん。
うまかったな~。
そーた

そーた