ボンド映画の集大成
してやられた、、、
この言葉しか浮かびません。
ボンドの全てを閉じ込めた記念碑的作品。
ひとつの歴史が終わりましたね。
といっても公開からだいぶ時間が経ってしまった。
なかなかレビューを書く気になれなくて、それほどショッキングな経験だったんです。
映画館出てから泣けてきた、、、
こんな経験は初めてでした。
言うまでもないですが、
ダニエル・クレイグのボンドはやはり格別でした。
演じ抜いたダニエル・クレイグの功績に敬意を表したいです。
その功績とは、
ボンドの人間味を引き出したということ。
シリーズを通じて等身大のボンドを現実的な立ち位置から眺めてこれたからこそ、こんなにも心揺さぶられる最終章となったのでしょう。
数年前にロジャー・ムーアが亡くなり、昨年にはショーン・コネリーが亡くなってしまった。
感傷的になってしまう出来事が多かっただけに、今作が持つ意味合いは途方もなく重要です。
クレイグ版ボンドを通じてずっと意識的に演出されていたのは、
過去作である「女王陛下の007」のプロット。
ボンドが唯一、特定の女性を愛し、
そして迎えた衝撃的な結末。
その結末を予想させるように前作スペクターで仕向けておく周到さ。
ホントにしてやられました、、、
音楽も「女王陛下の007」のテーマを使う辺り、巧みです。
MI6には歴代のMの肖像画がさりげなく飾ってあって、この演出もやはり巧みでした。
この肖像画のシーンをみて、
この作品は集大成なんだと感じたし、
ボンド映画の持つ伝統のような側面を見た気がしました。
Mを演じてきた歴代俳優達の歴史を一瞬だけ写し出すカラクリは翻って、ボンド自身の歴史をもほのめかします。
ボンドの歴史とは紛れもなく、
クレイグを含めた6人の俳優たちの歴史。
その歴史が過去からそして未来へと現在進行形で続いているという、ボンド映画の特異的な世界観を劇中で表明した瞬間なんです。
演目と役柄は変わらずに、
舞台装置と配役だけが変化する。
リメイクやリブートなのではなく、
まぎれもない伝統。
007シリーズの全てが凝縮された25作品目。
ショーン・コネリー時代から長年Qを演じてきた故デスモンド・リュウェリンならなんて言葉をかけるだろう、、、
「Glow up,007」
いや、
「Glowing up,007」
かもしれないな。
007の歴史はこれからも続いていきます。
ダニエル・クレイグさん、
本当にお疲れさまでした。