katsu

ソーシャル・ネットワークのkatsuのレビュー・感想・評価

ソーシャル・ネットワーク(2010年製作の映画)
3.7
この映画、「欠点」を探すこと自体がかなり困難な、ツッコむスキをほとんど与えない強かな大傑作です!!


「何かツッコむところないかな~」と思ってみたんですけど、本当にそういうとこ、ないです。
あるとしたら、それはこじつけか、よほど大画面用にフィットするSFX的効果がないと見れない類いの映画ファンか、そのどちらかだろうし、ツッコんでみたところで、それは悪い方向にしか作用しないと思います。

【ストーリー】

ハーバード大学の学生、マークザッカーバーグ(ジェシーアイゼンバーグ)はバーでガールフレンドのエリカアルブライト(ルーニーマーラ)にフラれます。
それも、コンピュータービジネスで当てる自信のあるプライドを傷つけられる形で。
怒った彼はその夜、ハーバードの学内の顔写真と個人データを集め「学内で誰がホットな女か?」を1対1で競わせるサイト「facemash」を立ち上げます。
感情的だった彼はエリカの罵詈雑言をそこに書きなぐることにもなります。

当然、この行為は女生徒たちのプライバシーの侵害行為にあたるわけであり、学内裁判でマークは処罰されることとなります。

しかし、facemashの驚異的なヒット数に目をつけた双子のウィンクルフォス兄弟がマークに自身が経営するサイト「ハーバードコネクション」で働かないかと誘います。

それから数日後、マークは親友のエドゥアルドサヴェリン(アンドリューガーフィールド)に思いついたアイディアを打ち明けます。
「顔写真と、公開を希望する個人情報を提供し合うネットワークサーヴィスを開きたい」。
エドゥアルドはこの案に興味を持ち、さっそくマークのアイディアを実行に移します。
これがfacebookの誕生だったわけですが、facebookはたちまち記録的なアクセス数をハーバードの学内で記録することになります。

すると、黙っていられなかったのがウィンクルヴォス兄弟。
彼らはアイディア盗作と名誉毀損の罪状でマークを学内裁判で訴えます。

しかし、ふてぶてしく、言説も鮮やかなマークはウィンクルヴォス兄弟の攻撃にもビクともしません。
そしてfacebookはその勢力をアイヴィリーグの大学圏に拡大。
今や学内”時のひと”となった彼ら。
エドゥアルドにはアジア系の”追っかけ”みたいなカノジョまで出来たりします。
そして彼らは勢力を西海岸にまで伸ばそうとしますが、そこでひとつの転機を迎えます。

マークとエドゥアルドの前に、見るからにいかがわしい”ギョーカイ”ノリの男が登場します。
それがショーンパーカー。
元Napsterの開発者である彼は西海岸の優秀大学の女生徒とベッドインした際に偶然見つけたfacebookに衝撃を受け自らマークたちとコンタクトを持ち、実にバブリーな場所で明らかな上から目線でマークとミーティングを持ちます。

この話にうまみを感じたマークはショーンと組むことを決め、ショーンの力をもってfacebookは急速に発展を遂げて行くこととなります。
しかし、ショーンにいけ好かなさを感じていたエドゥアルドはマークに不満をぶちまけます。
そして、ある日エドゥアルドの起こしたことを契機にその”友情”に決定的な亀裂が入ることとなり…。



…というのが主な内容です。
しかしですね、これはこうやってストーリーの展開を書いただけでは「何が凄いのか」ということは実際のところわからないと思います。
話の筋自体が面白いことは確かなんですけど、このドラマ、脚本状のト書きにないところがストーリー展開に実に大きな役割を果たしているからです。


そのことも含めて、「なぜ僕がこの映画がものすごい映画であると思うのか」ということについて、今から書いて行きますね。


❶90年代以降にビジネス上最高の成功を成し遂げたネット長者の人生を遂に描けたことで、”時代を象徴する映画”が作れた。
❷しかもそれがサクセスストーリーとしてではなく、名画の象徴である「市民ケーン」や「ゴッドファーザー」を想起させる方向性で生み出した。
❸メインキャストの3人をはじめ、演技陣の仕事が最高レヴェル
❹名画の条件としてある「誰かの出世作」としての機能を多くの役者に果たせそう。
❺編集のテンポと画面の切り返しが鮮やかで話に無駄がなく緊迫感が保てている。
❻トレントレズナーによる映画スコアが完璧!


まずその❶ですが、90年代の後半以降、世の中に最も多大な変化をもたらしたのがPCであること。
これは世界中の誰もが思っていることですよね。
しかし、PCという世界自体がきわめて”内側”の世界になりがちなので、それを映像として外に出す感覚はやはり難しい。
その、時代の抱える難題を遂に克服したことで、この映画はやはり”時代を象徴”すべき作品だと思います。

それを、その❷に移りますが、安っぽいサクセスストーリーとして描かなかったのが大成功ですね。
これ、ダメな監督だったら、巨大なアクセスを記録したとわかったシーンでスポーツ映画の勝利のシーンあたりで使いそうなゴージャスなストリングスとかを入れてしまいそうなものですが、そういうものはナシ。
また、話自体に、出演者が基本的にコンピューターギークという事実があるにも関わらず、そうしたギークの特徴をおもしろ可笑しく興味本位でプロトタイプ化させずに、普通に”生身の人間”として描いているのが大いに成功していると思います。

そしてこの映画、既に海外で多くの批評家が比較に出してますが、「市民ケーン」や「ゴッドファーザー」を想起させるポイントはたしかにあります。
どんなに成功しても心はいつも孤独のままで、人物的にも本当に尊敬に足るべきなのかわからない主人公。
そういう意味では前者。
そして、巨額の富や権力に翻弄され、その先には裏切りまでもが存在する…という流れにおいては後者ですね。
しかし、それって凄いことですよ。
仮にこれが、その2作品と違う作品で似てたらそんなに驚くことではなかったんですけど、これ、「市民ケーン」に「ゴッドファーザー」と言ったら、アメリカ映画のオールタイムで常時1、2位を争う超マスターピースですよ!!
そんな作品と比較にあうだけでも快挙です。
アメリカの批評家がこの映画を手放しで絶賛する背後には、バイブルのように逆らうことが出来ないその2作品の威光にひれ伏しているから、という事情も私はあると思いますね。

そしてそれプラス、そんな「永遠の名作」を彷彿させるほどの威力にさえ溢れた新時代を象徴する傑作を作ったのが、90年代の狂気を「ファイトクラブ」で描き切ったことで見事に時代を象徴することが出来たデヴィッドフィンチャーだった。
やはり、これも大きなことですよ。
2ディケイドに渡って、その時代を象徴する傑作を送り出すことに成功する。
これが出来た監督って、映画史上で見てもそうはいないはずですよ。

そして、その❸ですが…
やはりこの3人は文句のつけようがないほど完璧でしたね。
ジェシーは、大胆不敵で不言実行、気難しくて孤独な天才を甘さを近寄り難い感じで演じ切っていた。
そしてエドゥアルド役のアンドリューガーフィールドは、学生らしいピュアさと未熟さに溢れた、子供っぽく不器用ではあるものの「無くして欲しくはない何か」を持った愛すべき人物像を見る人に強烈に与えていた。
そしてそして!
最高級に驚くべきはショーンパーカー役のジャスティンティンバーレイク!
これまでは彼自身も演技自体をどうしていいかわからなかったからなのか、良い演技も良い役も来なかった印象がありますが、今回でとうとう一皮むけましたね!
彼がインシンクでデビューした頃、「なんだ、この田原俊彦似の男は!」と思ったものですが、ソロで成功してかなり野性味が増したなあと思っていたら、今回のこのチャラい役でトシ度がだいぶ戻って来たこともあってか(笑)、結果的に大成功。
「俺、チャラいけど、やるときゃやるよ」な、眼光の奥に不敵さが光る目線なんか特に良かったです。

しかもこれだけじゃない。
マークザッカーバーグを冷たくあしらうエリカアルブライト役のルーニーマーラのツンデレぶり。
ディズニーアイドル出身であることを一瞬忘れてしまったエドゥアルドのカノジョ役のアジア系ブレンダソンのおそらくはじめての不健全な演技。
学内裁判のスタッフで休憩時間にマークに大人の立場で親身に声をかけるラシーダジョーンズの冷静さ。
そして、合成技術によって、双子をひとりで演じ切ったウィンクリヴォス兄弟役のアーミーハンマーと、その取り巻き役のマックスミンゲラ。
彼らあたりは、その❹になりますが、この映画が出世作となってこれから映画出演が増えて行くでしょうね。
そしてそれは、上の3人にも充分に言えることです。

そして、特に驚くべきは編集です。
ということでその❺なんですが、これは本作に限らずデヴィッドフィンチャーのどの作品にも言えることですが、僕はまだ彼の映画を見て、途中でダレて映画を見る集中力を切らしてしまった作品というのがありません。
前作の「ベンジャミンバトン」は彼の作品の中で題材的に最も興味のない作品でしかも長い映画にも関わらず、それでも最後までダレずに見れましたからね。
その原因は、脚本や題材以前に「話の進め方の上手さ」にあると思います。
この人の場合、無駄な話の脈絡がなく、映画全体の筋が非常によく絞れててスムースに進むんですよね。
しかも、大事なところは絶対に削らないから唐突さもない。

そしてテンポがとにかくいい。
そのテンポの良さを助長する要素に”音楽”の存在が大きいのですが、その❻になりますが、これがフィンチャーの場合、”画面にどの音楽が一番適しているのか”の判断に間違いが無いから画面が違和感なく見れ、音楽と共に気分も昂揚して行くんですよね。
今までその例で一番優れていたのは前々作の「ゾディアック」で1969年から1977年くらいまでの未解決事件の捜査を、当時のロックのヒットチューン(しかもかなりマニアに「わかってるねえ!」とニヤリとさせるチョイス)と共にテンポ良く追うことによって、きっちりとそのドラマの世界に入って行くことが出来るんですよね。
そこのところはさすがに元PV監督の出身。
音楽の効果的な使い方をしっかり把握出来てます。

そしてそれは今作においても同様です。
全編を覆うのは、コンピューターを題材としただけあって、エレクトロニックミュージック。
しかもそれもオートチューンみたいな下品な安っぽさや一部のエレクトロニカに顕著なこじゃれた環境音楽然としたものではなく、緊張感を高めて行くようなカオティックさに溢れた、冷たくも感情的な電子音。
これはもう音楽担当のトレントレズナー(ナインインチネールズ)の勝利ですね!
仕事的に完璧だと思います。
はじめこの映画のサントラを彼がつとめると聞いたときちょっと心配してたんですが、同じフィンチャー作品への楽曲提供でも「Se7en」の時の猟奇的なイメージ(それはまさに当時のNINのイメージそのままだった)とは全く違い、今回の”機械と頭脳によるクールな戦争状態”の意を実にうまく汲み取っていたと思います。
この音楽、聴いてて70s最高のドイツ映画「アギーレ 神の怒り」の時のポポルヴーをも思い出してしまいます。

そして、オープニングとエンディングの曲も最高ですね。
オープニングは僕が2000年代で1番好きなバンドの曲です(笑)。
しかも「あ~、それで来るわけね~」と、一般的な人気曲ではなく、そのバンドのファンに絶大な人気のあるライヴでの定番曲です。
そしてエンディング、これが絶妙!
フィンチャー映画のエンディングで一番有名な曲と言えば「ファイトクラブ」でのピクシーズの「Where's My Mind」。
楽曲の殺伐とした雰囲気と曲名が映画の内容をそのまま象徴したものでしたが、今回も曲名と曲の雰囲気が映画そのものに本当にピッタリ。
これも「ああ~、それ選ぶのねえ~」という痒いとこついて来ます。

…というわけで、「ソーシャルネットワーク」、全くもって文句ありません。
完璧だと思います!
賛否があるとすれば、それは「マークザッカーバーグ」という人物に対する共感の部分だとは思いますが、それは彼への評価であり、映画自体の評価ではないわけで。
そういう意味で映画として注文を仮につけるとしたら、上にも既に書いたように、これ以上に悪くなることはあっても良くなることは正直ないと思います。
そして心配ごとがあるとすれば「facebook自体が廃れたときにとたんに古びないか」ということがあると思いますが、この完成度だと、facebookそのものよりも寿命が長くなるような気さえします。
そして、私がこの映画を見終わった後に自分のfacebookのMovieの「Like」のところに即座に書き足した「David Fincher」の名前もかなり長いこと君臨し続けるような気がします。
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