"持たざる"者と"持つ"者の物語。ここでいう"持たざる"者はマークザッカーバーグを指す。ただエリカに振り向いてほしかった。不器用な彼は偉大な自分を見せたい、そんな思いからFacebookを作りあげる。ウィンクルボス兄弟は不自由のない人生であり、コミュニケーション能力も長けているだろう。そんな彼らはFacebookまでたどり着くことはできなかった。"持たざる"者の願望がFacebookを創造したのであった。
同様に、エドゥアルドも裕福な家庭で育ち、変化を求めなくても幸せなレールはひかれていたに違いない。そんな彼の行動はステレオタイプであり、Facebookを世界に広げることはできなかっただろう。そんな彼らのプライドをへし折り、確執を生むことになる。
マークの功績と同時に失ったものは多かった。親友であり、崇拝していたシェーン。孤独に取り残されるマーク。彼も人である。エリカのページを更新し続ける切なさの残るラストは秀逸である。
『シンゴジラ』の官僚のような早口もこの作品の特徴の一つか。情報量も多く、満足度も高い。2020年現在でもNo.1SNSのFacebook。そのロードムービーとして面白い作品であった。