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花嫁の父のodyssのレビュー・感想・評価

花嫁の父(1950年製作の映画)
3.0
BS録画にて。
以前どこかで(名画座だったかTVだったか記憶が曖昧)見てから30年以上をへて久しぶりでした。
1950年のモノクロ映画。
その後、1991年になってからリメイクされて、日本では『花嫁のパパ』の題で公開されました(これはラストがちょっと洒落ていて原作とは違う面白さがあります)。

さて、久しぶりに鑑賞して、そうだったかと思うことが多い。
例えば、主人公は40代の弁護士で家のローンがようやく終わりかける頃。
家には(結婚することになる)娘のほか妻と息子2人、それに黒人のメイドがいます。
そう、この時代の中産階級は黒人のメイドがいることが多かった。
さらに、娘の結婚相手の実家を訪ねていくと、家はもっと広く、初老白人のメイドがいる。
人件費が高くなり中産階級でも容易にメイドを雇えない昨今とはだいぶ様子が違います。

それから、結婚式は教会で挙げるけどその後のパーティは花嫁の実家でというところ。
花嫁の父は教会で挙式に最初は反対するのですが、つまり米国の昔ふうだと挙式も花嫁の実家でということで、自分たちもそうだったのだからというのですが、妻から実は自分も教会でやってウェディングドレスを着たかったと言われて折れます。

そして自宅のパーティには250人もの客が押し寄せてくる。(ろくに顔を知らない人間も来ているのです。)
いくらアメリカ人の家が日本人のそれより広いといっても、平均的な中産階級の家にはそんなに入るわけがない。
だから庭にテントを張るほか、室内の家具の一部を一時的にトラックで運び出したりする。
そのための業者に色々頼むのにお金がかかる。
むろん、パーティの費用もです。

これら金銭的負担は、みな花嫁の実家に。
なるほど、花嫁の親は大変なのだと痛感しました。
と同時に、アメリカ人の若者は独立心旺盛でなどと言われるけど、これを見ているとそうとも言えないなと。
だって要するに親がかりで式と披露宴をやっているんですからね。

実は2年前、私自身も「花嫁の父」をやりました。
この映画と同じくわが家には娘はひとりしかいないので最初で最後です。
挙式もパーティもホテルでやりましたが、すでに新型コロナが流行していたので客は親族のみにしました。
それでも費用はそれなりにかかったでしょうが、基本的に新郎新婦が負担する原則でした。
むろん結婚に際して親からの祝金はそれなりに出しましたけど、それ以外の親の関与は一切なし。
「花嫁の父」の着るモーニングだって、今は借りれば済むことで、もちろん借り賃は私が出しましたけど。

実際、三十数年前に私と妻が結婚したときも、費用は基本的に新郎新婦で負担したのです。
式の段取りなど、万事は結婚する当人同士で決めるのだから、費用も自分で出すということです。
だから、娘にも同じ原則で行くよう命じたのでした。(大学を出て就職してから数年たっているので貯金は或る程度あったはず。)
これって、異常なことなのかなあ。
日本でも名古屋では娘を複数持つと身上潰すと言われているそうだけど、さいわいにして私は名古屋人ではないので(笑)。
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