バナンザ

トゥルーマン・ショーのバナンザのレビュー・感想・評価

トゥルーマン・ショー(1998年製作の映画)
3.3
生まれてからの30年間の生涯を人気テレビ番組として365日24時間生中継される男が、自分が設計された世界に生きていることに気づき、その世界から脱出することに成功し物語が終わる。

映画が表現しようとしたことはプライバシーのない世界と真実ではない世界の二つだと考えた。しかし、主人公トゥルーマンが始まりから終わりまで設置されている5000台のテレビカメラに気づかないことを考えると、後者により焦点を当てているように感じる。真実でない世界は古代ギリシャの時代から人の人生を語るときに引用されていた概念であるので、監督のピーターウィアーも心得ていたことだろうと推測される。一般にそれはプラトンによる洞窟の比喩と言われ、私たちはただ価値観と経験というフィルターを通じて、目の前に投影された幻想を見ているにすぎず、真実の世界たる「イデア」の世界が存在すると言う考え。映画ではトゥルーマンが世界から脱出しないように、海で父も無くすことなどの経験も設計され、シーヘブンから出たいと思わせないような価値観を創ろうとしていた。しかしyou never had a camera in my head.という言葉から価値観までは作ることができないというメッセージ性を感じる。
今生きる人々も神によって価値観と経験が想像されていると思えば、トゥルーマンと同じ境遇にいると言える。
しかし、現在の私たちとトゥルーマンの違いは、神によって創造されたか、人間によって創造されたかの違いだろう。トゥルーマンが自分は設計された世界にいると気づくきっかけはすべて製作に携わる人間のミスである。1.シルヴィアを登場させたこと2.製作スタッフがトゥルーマンの車のラジオに内線が入らないようにメンテナンスや配慮をしなかったこと3.ローランをフィジーで療養させるとトゥルーマンに行ったこと。4父がエキストラとしてホームレス役をやっていることに気づかなかったこと。等等。神が必然的に造ったことを運命と言い、人間が必然的に造ったことを設計と言うのかもしれない。クリストラの言った「徹底したリアリティ」は人間には不可能なのだろう。

無線指示がトゥルーマンのラジオに繋がり、設計された世界に生きているのかもしれないと疑ったとき、まだ全員がエキストラであると言うことは疑っていなかったが、夜のマーロンとの会話で過去すべてが作られたものであったことを知り、マーロンでさえ、自分の見方ではないことを悟ったのではないか。そして、唯一信じることのできるシルヴィアがいるフィジーを目指すことを決めたのだろう。フィジーにいることさえ、作られた情報だと疑っていたら、ヨットの上で笑みを浮かべながら島を目指すことはできなかったであろう。正直でありながらも楽観主義であるという性格設定が垣間見える。

人生は設計されていないことを映画では主張していた。
また保険会社で働いていることにもメッセージとのつながりを感じる。
Life is fragile.
In case I don’t see ya, good afternoon, good evening, and good night.

ビールや芝刈り機・chefs palでさえ商品の広告として出てきているのだと見返してから気がついた。

ラストシーンで、トゥルーマンが世界から脱出した際、テレビを見ていた人々が喜んだのは、シルヴィアがクリストラへのTVインタビューで批判したことで世論が動いたということを示しているのではないか。
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