Eucharis

太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男のEucharisのレビュー・感想・評価

3.0
当時の様子の一分(いちぶ)でも知りたいと思い、鑑賞しました。




大場栄大尉は1992年に78歳で亡くなられたそうです。

大尉は、丸栄産業代表取締役&愛知県蒲郡市の市議会議員も務められたとか。




うちの祖父は名古屋出身で同じくサイパン島に衛生兵としていっていました。
当時のなかまの話は聞いたことありませんが、もしかしたら近くにいたのかもしれません。

劇中で「生」カタツムリを食べたというシーンがあったのですが、祖父も栄養失調で倒れていた時になかまがカタツムリを捕まえてきてくれて食べるように言われたそうです。しかし、食べる気力もなくそのなかまに譲ったそうです。そして、代わりに食べたその人は寄生虫により亡くなってしまったとのことでした。
それ以降、カタツムリを食べるときは火を通して食べるようになったそうです。

まさに聞いた通りのことが劇中で描かれていてびっくりしました。




とはいえ、劇中でカタツムリが食べられた描写の時よりも前、サイパン島に米兵が上陸してくる前に祖父はパガン島に渡っていました。

サイパン島の周りの争いが激しくなり、いよいよサイパン島に上陸してくる…その前にパガン島がその足掛かりとして利用されるだろうと考えた日本軍は防衛の兵を送り込むことにしました。

祖父はその兵には選ばれずサイパン島に残る予定になっていました。
しかし、祖父と一緒にサイパン島に渡った友だちがパガン島へ行く兵の一人に選ばれていたのです。

「生きて帰れたら、妻や生まれてくる我が子に宜しく」と泣きながら話す友だちに「俺は出兵まえに結婚したばかりで子どももいない。俺が死んでも向こうはやり直せる。俺が代わりに行こう。」と友だちの代わりに志願したそうです。


パガン島に渡り、いよいよ戦闘機の飛んでくる音がきこえた時、祖父は「これは無理だ。ここまでか。」と、思ったそうです。
しかし、その戦闘機はそのままパガン島を通り越し、直接サイパン島を攻めました。
代わった友だちはサイパン島で亡くなりました。
友だちの骨壷(箱)には何も入ってなかったそうです。


毎日のように飛んでいく戦闘機の数を数えたそうです。
ラジオで流れる「今日ハ○機撃破セリ」の放送をきいても、行きと同じ数の戦闘機が帰っていく姿を見ている祖父たちはすぐに日本軍が「ウソ」をついていることに気づいたそうです。

「日本は負ける。」と覚悟したそうです。




パガン島では、いろんな生き物を食べて飢えをしのいだそうです。それでも、衛生兵だった祖父は、自分よりもケガをした人や他のなかまたちに優先してタンパク源を渡していたそうです。おかげで栄養失調で倒れてその時は骨と皮だけと言えるほどやせ細っていたそうです。


ラジオで日本が負けたことを知りました。

パガン島にいた皆が食料不足でやせ細り、呼びかけてきた米兵に何も抵抗することもできず捕虜として捕まったそうです。

船に乗せられ、そこで薬や缶詰を渡された時、経済力の差をまざまざとみせつけられ、食べながら泣いたそうです。




祖母も名古屋で空襲に遭い、一緒に逃げていた妹(うろ覚えで、もしかしたらイトコだったかも?)を目の前で亡くしたそうです。

「橋のこっち側と向こう側、たったそれだけだったよ。手を引いて走っていたけれど、人ごみで手を離しちゃって。爆弾が落ちてね。たくさん人が死んだんだよ。」


「こう、、なんというか人の生き死にが目の前でゆらゆらと揺蕩っていてね。いつ死んでも、たまたま生きていたとしても、何も可笑しくない時代だったよ。」

「だから、○○(私の名前)、皆と仲よくしないといかんよ。戦争なんてしてもいいことないんだから。」




これらの話は、自分が小学六年生の時に自由研究で模造紙4枚にまとめたものの一部です。今でもその自由研究は残してあります。




自分も大人になり、その時の祖父母の思いも子どもの頃よりも理解できるようにはなりましたが、祖父母は亡くなり、これ以上詳しい話を聴くことはできません。


亡くなる直前、私の名前は思い出せなくても、「お婆ちゃん、天皇の名前。」と言うと、神武天皇から昭和天皇までうわ言のように、お経を唱えるようにすらすらと唱えるのです。

ほんのちょっとでも頭の体操にでもなればと冗談のつもりでした。

なんでしょうね?

そんな祖母の姿をみて、初めて祖母のことを哀れに思え、いたたまれなくなり、那智大社、飛瀧神社にいって延命長寿の水をいただきにいきました。戦争で犠牲になった時間をほんの少しでも家族で取り返せたらという思いだったのかもしれません。

「ありがとうねぇ。○○(私の名前)。」

母には「おばあちゃんは孫も見れて幸せだといつも言ってた。往生なんだから、これ以上苦しませてあげなさんな。」って言われましたけれども(笑)

祖母の後を追うように祖父も翌年に亡くなりした。


きっかけはこの映画でしたが、
レビューを書きながら、祖父母から受け継いだバトンを大切にして生きていきたいと改めて思いました。




まさか、Filmarksのレビューで思い出を振り返ることになるとは思いもしませんでしたが書いちゃいました(評価ではないですねw)。
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