スタンダード

3時10分、決断のときのスタンダードのレビュー・感想・評価

3時10分、決断のとき(2007年製作の映画)
5.0
【会話】


『会話は尊敬の下で成り立つ』と、
そう考えています。


『いぬやしき』が良い例です。
娘と積極的に会話をしようと試みても、
娘は父との会話を拒みます。
そこに尊敬がないからです。


別の例を挙げれば、
『ドラゴンボール』で孫悟空が
民衆へカンパ(元気)を募っても、
誰一人として聞く耳を持ちません。


しかし、
英雄ミスター・サタンが呼びかけた途端、
『サタン様のためなら喜んで‼︎』
と言わんばかりに元気を差出します。
『孫悟空が民衆からの尊敬』
を得ていないからです。


相手から見下されている時点で、
『会話すら成立しない』現実。
どんな綺麗事を言われたところで
この事実は消し去れません。


【試練】


対等に会話をするためには、
『相手に認めてもらう』
必要があるわけですが、
持たざる出自である者にとって、
それは相当な試練となります。


本作の主人公は
息子からの尊敬を得たい一心で、
命がけの試練に立候補します。


普通の感性ならば、
そこまでして他者の尊敬を勝ち取りたい
とは思わないかもしれません。


しかし主人公は、
『持たざる自分』
を嫌悪しながら生きてきました。
『自覚』が彼を決断に駆り立てたのです。


【決断】


主人公は胸を張って
『息子と会話』がしたかった。


『勇気を持って話しかける』
のではなく、
『何の気負いもなく話しかけられる』
そんな父子関係を形成したかった。


会話そのものに意味があるのではなく、
『大切な人と対等に会話がしたい』
『そのために自分は何をすべきか』
それを考える過程にこそ意味があります。


そして勝ち得た尊敬。
それには会話以上の価値があるのです。


必要なのは勇気ではなく、
『決断』なのかもしれません。