パングロス

彼岸花のパングロスのレビュー・感想・評価

彼岸花(1958年製作の映画)
4.8
◎極上コメディで縁取る強権家父長と娘の結婚

デジタル修復版(1958/2013年)による上映
*状態は頗る良好、セピアがかったカラーも味に。

これは面白い!
『東京物語』と並ぶ小津の最良傑作群の一つ。

小津安二郎は、基本的に喜劇作家だと思う。

三谷幸喜やクドカンが現在の脚本作家として最高峰にあるように、良い喜劇が書けることは、人間に潜む深淵や社会が抱える問題に迫る能力と矛盾せず、むしろ両立しながら高め合うことの方が多い。

【以下ネタバレ注意⚠️】






ストーリーのコアをなすのは、ふだんは温厚な父親平山渉(佐分利信)が、長女節子(有馬稲子)が知らぬ間に恋愛して結婚まで決めたことを知って烈火の如く怒り、相手と別れさせようとするが、あることから結婚を認める形となり、最後は娘夫婦を祝福するという、家父長による抑圧下での娘の結婚成就の物語である。

佐分利信の父親は、丸の内に本社がある商事会社の常務をつとめ、公私にわたって、酸いも甘いも噛み分けたような物分かりの良さそうな好人物として登場する。
新婦側の知人としての結婚式の祝辞でも、自分は見合いで無縁だったので恋愛結婚なさったのは何とも羨ましい限り、などと言って笑いを取ることも如才ない。
この本作イントロ部の祝辞が、主題部の見事な伏線となっていたことに、あとから振り返ると気がつく仕掛けだ。

ところが、勤め先を前触れなく訪ねてきた谷口正彦(佐田啓二)が、突然、
「節子さんとの結婚をお許しください。
本来、こういうことは間に然るべき人を立てて、お伝えすべきですが、時間がないのです。
私は、広島への転勤が決まったので」
と告げた。
驚いた渉(佐分利)は、
「君は、藪から棒に何を言い出すんだ。
ともかく今日はお帰りなさい」
と、すっかり頭に血が昇ってしまう。

家に帰って、節子を問い詰めると、正彦が渉の会社に行ったことは初めて知った、だが、確かに結婚の約束はした、とのこと。
渉は、それを聞いても、
「私は、絶対反対だ」
の一点張りを強圧的に繰り返すだけ。
いつもは仲の良さを見せつける妻の清子(田中絹代)がなだめても、聞く耳を持たない。

ついに節子は家を飛び出して、正彦のアパートに行き、ことの次第を本人から確認し、たとえ親に認めてもらえなくても必ず結婚することを誓う。

落ち着いた節子を、正彦が家まで送る。
正彦は玄関にも入らないで辞去したが、清子はその姿を見て、好感を抱いたのであった。

平山家は、派出婦(いわゆる、お手伝いさん)の富沢(長岡輝子)を雇うほどの富裕な家庭だが、洋間は接客用の一室があるだけの和風住宅。
聖路加病院や築地本願寺が近くに見えるから、明治期には外国人居留地があった明石町に屋敷がある設定だろう。
平山家は少なくとも、明治期にはここに屋敷を構えられるほどの経済的成功者の何代目か、ということになりそうだ。

ところで、居留地といえば、横浜や神戸を思い浮かべるが、東京都心にもあったとは寡聞にして初めて知った。
本作中でも、平山家近くの煉瓦塀が目立つ通りに、タクシーが停車するシーンが何度か登場する。
現在は、聖路加病院の関連施設や暁星学園が往時を偲ばせるだけでマンション街となっているようだが、芥川龍之介もこの町に乳牛牧場「耕牧舎」の経営者の長男として産まれたという。
*外国人居留地・明石町を歩く
あの町この街あるこうよ
2014/04/01 14:35
blog.goo.ne.jp/tetthan/e/f7d2fe8b7fd6f38861706c81e68de78c

閑話休題。

さて、この主筋を彩る爆笑コメディエンヌ親子が、京都祇園の旅館の女将佐々木初(浪花千栄子)と、その娘幸子(山本富士子)である。

どうも平山家と佐々木家は親戚らしいのだが、関係性がよくわからない。
『小津安二郎大全』は「知人」、Wikipediaは「平山の馴染み」とするが、だとすれば、渉の先代の仕事関係か何かで京都の定宿としていたということだろうか。
*里見弴の原作(とは言っても、里見は本作脚本にも、小説執筆と並行して関わっていたという)を読んだらわかるのだろうか。

朝ドラ『おちょやん』(2020-21)で杉咲花が演じた主人公のモデルが浪花千栄子(1907-73 公開時50歳)である。

京都の学会への出席のために宿泊客となった聖路加病院の医師の薦めで、初めての人間ドックを受診しに来たと言って、渉の勤め先に姿を現した。

南河内(現在の富田林市)生まれで京阪劇界で揉まれた浪花の関西弁は純度100%。
まぁ、祇園言葉を正しく使いこなせているか、までは判断できないが、若い頃には京都暮らしも長かった彼女にとっては、京言葉もお手のもの。
文字通り、息つく間もないほどの速射砲の喋り芸を浴びせ、佐分利信をもタジタジとさせる。
おそらく日本史上、最高位の喜劇女優と言って良い浪花、彼女の全盛期の至芸が楽しめるのが本作のメリットの一つである。

その浪花に負けず劣らずのコメディエンヌぶりを魅せるのが、大映の大スター山本富士子(1931- 公開時26歳)だ。
今も92歳にして、CMで健在ぶりを見せてくれる彼女は、初代ミス日本(1950年)の名に恥じぬ美貌に輝きながら、やはり大阪ど真ん中の生まれ。
京言葉も本寸法で、下手をすると、暗い悲劇調になりかねない本作を明朗快活なコメディで縁取ってくれている。

要は、内にはキツく外には甘い渉の弱点を巧みに突き、節子と示し合わせて、ひと芝居打ったのだ。
母が、あたしの嫌がるのも知りながら道修町の薬品会社の御曹司との結婚話を進めようとするので、辛抱たまらず家を飛び出して東京まで逃げて来たの、と。
おじさま、親の言うことなんて聞かなくても、いいわよね。あたしは自分が好きな人と結婚したいの。
思わず、渉、
いいとも、いいとも。親の言うことなんて聞くこたぁない。好きな人と結婚すればいい。
幸子、
わぁ、良かった! すぐ節子さんに電話しまっさ。
渉、
節子へ? いったい、どうしてなんだ?
幸子、
あたし、お芝居したのよ。さっきの話は全部あたしのことじゃあなかったのよ。

妻の清子も、良かったわね、と顔を出す。

いかんいかん、俺は結婚式には出んぞ。

あれこれあった末、渉も結局折れて、結婚式にはかろうじて出席。

ところが、正彦の転勤は待ってはくれず、まもなく節子も広島行きへの旅支度。
荷造りの手伝いから帰った次女久子(桑野みゆき)が、
「二人とも仲睦まじくて、素敵だったわよ。
だけど、お父様から祝福の言葉をかけられなかったことだけが心残りみたい」

渉は、ある休みの日、節子の仲人も買って出てくれた友人河合(中村伸郎)らの奔走で、東西の同窓生が集まりやすいように、蒲郡(現在の蒲郡クラシックホテル*ならむ)で同窓会が持たれた。
*gamagori-classic-hotel.com
ひとり娘の文子(久我美子)がバンドマン長沼(渡辺文雄)といい仲になって家を出て、銀座のバー勤めをしていることを苦にしていた同窓生の三上(笠智衆)と、娘を育てるってことは難しいと竹島橋の上で語り合った。

そのまま帰東せず、祇園の佐々木まで足を伸ばした渉。
今度は、幸子だけでなく、お初にも上手に唆されて、広島までその足を伸ばすことに。

広島行きの列車に乗る渉。
京都から大阪に入って桜井のあたりを通る頃、渉は思わず「青葉茂れる桜井の‥」と唱歌「桜井の訣別」を口ずさむのであった。

終わり。

***

補遺として、小ネタを幾つか。

◯『大全』には、《『淑女は何を忘れたか』(1937年 2024.3.15レビュー)で描いたおばさま三人組を発展させた、おじさま三人組が登場。(当時の関係者によると三人は)小津・里見・野田の関係を原型にしているようだ》とあり、
Wikipediaには《佐分利信、中村伸郎、北竜二が演じる旧友三人組は『秋日和』でも形を変えて再登場することになる》とある。
だが、完全にトリオ漫才を演ずる『淑女‥』の飯田蝶子・吉川満子・栗島すみ子に比べて、本作の三人組の場合の笑いは下がかった猥談であり、かなりテイストが違う。
曰く、男女の産み分けってやつは、男が強いと女の子が産まれ、逆だと男の子が産まれるんだと言うんだ。
するってぇと、一姫二太郎ってなぁ、結婚当初は男のあれが強くて、ってことだな。
という下卑て卑猥なもの。
小津の下ネタ好きが端なくも出てしまっている訳だ。
中盤では、料亭「若松」の女将(高橋とよ)の子どもの性別を訊いて、男だと答えると、「やっぱりねぇ」と男どもだけでニヤけ合うというシーンもある。
こんなの完全にセクハラだ。
少なくとも私は、この三人組の笑いは本作最大の欠陥だと指摘しておきたい。

◯ラーメン屋「珍々軒」(前年の『東京暮色』に出た)が、また出ていた。

◯小津構図のシンボル、赤いヤカンが登場(複数シーンにて)。

◯音楽は、イングランド民謡「埴生の宿」、聖路加病院から聴こえるモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、ラジオから流れ田中絹代が拍子を取る「京鹿子娘道成寺」の長唄の一節など多種多彩。

◯同窓会で、これも小津映画あるあるの笠智衆の一芸披露、詩吟「楠木正行、如意輪堂の壁板に辞世を書するの図」(元田永孚作曲「芳山楠帯刀の歌」)をうなるシーンがある。

◯劇伴は、この時期の常連、斎藤高順。
尖ってはいないが、次作『お早よう』の黛敏郎の劇伴に比べると、いかにも「ちょうど良い感じ」なのが実感される。

◉興行的にも成功し、小津の最も売れた作品となったと言う(『大全』)。

☆とにかく傑作。笑えて、緊迫して、泣けます。
小津映画初心者にもお薦めできます。

《参考》
生誕120年 没後60年記念
小津安二郎の世界
会場:シネ・ヌーヴォ 2024.3.2〜2.29
www.cinenouveau.com/sakuhin/ozu2024/ozu2024.html
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