一番の論点はエンディングが「現実か夢か?」だと思う。
1977年にすでに「サムの息子法」が制定されているので、今作製作時に現実ではこのような犯罪加害者が自らの犯罪物語によって利益を得ることは出来なくなっていた。
それでももし監督が承知の上でこのラストを現実とするなら、思想的に容認できない最低映画だと思う。(スコセッシ監督は、どちらとも明言していない)
いくらコメディでも越えてはいけない一線は存在するし、この作風だととてもじゃないが「ブラックな笑い」と片付けられない。
「有名になりたくコメディアンを誘拐」とまったく同じ思考回路で「有名になりたくて幼児惨殺」。で、そのあと自伝出して大儲けの有名人。
許せるわけが無い。
飛躍しすぎ?でも、今作での誘拐でも軽いタッチで描いているので気にならないが、もし半日以上いつ殺されるか分からない状態で監禁されたら?それをネタにベストセラー。おまけに有名人に。
被害者だったら許せるだろうか?
では夢だったとするとどうか?許容範囲に入るのだが、問題はほんの少しでも夢だったと匂わすシーンが一つも無いことと、その後の現実世界の描写が無い事。
公開後にこじつけた苦しい言い訳のように感じられるのは私だけではないはずだ。
想像するに当時は倫理的にあまり問題にならなかったのだろうが、現代では完全アウト。
「サムの息子法」と類似する法律の無い日本人でさえ疑問を感じる。
映画としての魅力を感じる不快感ではなく、本当に腹の立つ不快感を残す作品なので、ストーリーは無視してデ・ニーロの素晴らしい演技に集中して観るべきだろう。
個人的には有名になった後、同じ思考回路の狂人に殺されて終わり。として欲しかったなぁ・・・・・